【投書】「板垣退助に国を導く志」(2022-07-29山形新聞)
【原文】
遊説中に襲撃された政治家といえば、明治の偉人・板垣退助が思い起こされる。「板垣死すとも自由は死せず」の名言で知られる(実際は一命を取り留めた)。
土佐藩(現在の高知県)出身の板垣退助は、戊辰戦争で幕府軍や東北諸藩と戦って手柄を挙げ、やがて新政府の重要人物となる。しかしその後の権力争いに敗れて地元の土佐に帰り、そこで巻き返しのため力を養うことになる。
当時、武力で新政府を攻撃する事件が続発した中、板垣はあくまで言論で戦う道を示した。「自由民権運動」である。国民よりも「国家」を第一とした政策を強引に進める長州・薩摩勢主導の政府に対し、今風に言えば「地域にチカラを」、「土佐の声を叶える」との精神で、「確かな野党」として立ち向かい続けた。
板垣は、「民衆派の政治家」として人気が高かった。自由民権運動のために私財を投げうち、有力政治家となっても自宅は粗末で、下級役人の家のようだったと語られる。名誉を欲することもなく、明治維新に功績があった人物として「伯爵」の称号が与えられることとなった際も、何度も辞退を申し出た。断り切れず伯爵となったが、自分が死んだら子孫に受け継がせず返上すると言い残して世を去った。
世襲貴族のような政治権力者が多く、地位や名誉を誇示する行事を当然のように行う現代日本に、喝を入れてもらいたい人物だ。
板垣は、事件後改心し謝罪に来た襲撃犯に、こうも言っている。「もし私が国を誤った方向に導いたときには、再び刃(やいば)で私を刺せ」。国を導く志とは、こういうことだ。
【紙面】