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顧客至上主義の成れの果て'e
伊豆箱根バス行政処分(22年)の件
2022年9月1日、伊豆箱根バスの公式HP上に、「中部運輸局からの行政処分について」の見出しでプレス発表が掲出された。状況としては、ノーマスクで乗車した旅客に対して、車内アナウンスを通じてマスク着用を促したところ、言い合いに発展し、バス停以外の場所で降車させた。
これに腹を立てた旅客が伊豆箱根バスにクレームを入れ、中部運輸局が監査を行ったところ、強制降車が法令違反で不当な取扱いとして、バス会社に対しバス2台を25日間の使用停止処分とする運びとなったことが、SNSなどで賛否両論となっている。
私は元鉄道員であるため、バス事業者とは細かい部分で差異があるものの、同じ公共交通機関の従事員という立場から、お客様至上主義が従業員の負担を増やすだけでなく、周り回って会社の首を絞めることに関して、経験をもとに記していく。
この手の処分では往々にあることだが、クレームを受けた管理職が、全ての状況と結果が分かった状態で、ここが間違っている。ああすれば良かった。こうすれば良かった。と対処法を言うのは結果論であり、状況がどのように変化するのか読めない、限定的な現場の情報だけを頼りに判断せざるを得ない、当事者の立場や心境を蔑ろにして、正論をぶつけるだけなら誰でもできる。
組織として必要なのは、処分となるような事象が発生した時に、どのようなメカニズムで当事者がそのような判断をするに至ったのか原因を分析した上で、そうならないためのルールや方針変更、ケース別のマニュアルを設定するなどの仕組み作りの筈である。
無理ゲーな現業職員の心理
J-CASTニュースの取材によると、この時のバス車内にはおよそ25人の乗客が居た。もし仮にマスク着用を事業者側がお願いしているにも関わらず、ノーマスクで乗車した旅客に対して、何の対応も行わなければ、25人の乗客が「運転手が対応しなかった」と苦情になる可能性があり、この場合、運転手は後々管理職から「なぜ対応しなかった」と詰められることになる。
運転手の心理としては、25人の乗客から苦情を貰わないための保険的な側面から、当該旅客に車内アナウンスを通じてマスク着用を促した訳であるが、それが火種となり言い合いに発展した。
もちろん、当該旅客に対応している間は運転できない。マスク着用を拒否した1人の乗客と不毛な口論をすることで、文句も言わずに普通に乗ってくれている、何の罪もない25人の乗客の時間を奪うことになる。言うことを聞かない1人の乗客を排除することで、真っ当な25人の乗客が救えるのなら、前者を降車対応させた方が被害が少なく合理的だと判断したのだろう。
しかし、法令では安全が担保されていないバス停以外の場所で降車させてはいけなかったり、乗車拒否の条件にある「他の旅客の迷惑となるおそれのある者」には該当しないと判断され、処分に至った。
鉄道でも旅客営業規則で似たような条文があるが、運輸省のマスク着用拒否が「他の旅客の迷惑となるおそれのある者」に該当しない旨の解釈を、本件で初めて聞いた。
そのため、現業職員としては、会社は「マスク着用」をお願いレベルの線引きが曖昧な状況に留め、現場判断に丸投げしておきながら、「誰からも苦情は貰うな」と言う、ノーマスク客が出現した瞬間に両立不可能な、ダブルバインドにも似た無理ゲーが出現することを意味する。
お客様とて許せぬ!!!
これは千と千尋の神隠しの作中でカオナシが暴走した際、湯婆婆が”か○はめ波”と共に放った一言であり、ジブリ渾身のギャグシーンでもあるが、従事員に迷惑を掛ける汚客に対しては、「お客様とて許せぬ」と、か○はめ波を放つことが許される社会になった方が長期的に良い結果となると考えている。
アメリカでは良いサービスを受けたければ、チップを支払う文化があり、チップの文化がないフランスでは日本では考えられないくらい、やる気のない接客を行うことが許されている。サービスに対して料金が発生することが前提で、お金にならないなら余計なサービスはしないという価値観が共通認識としてあるためだ。
しかし、日本では公共交通機関の従事員に限らず、専門性を必要とせず、誰にでもできる作業者でかつ、最低賃金ギリギリで働かされているような、労働者階級の下層に位置する職業人に関しても、チップなしに質の高いサービスやプロ意識が要求され、それに応えないことが許されない風潮となっている。
顧客としては安くて良いサービス、会社としてはそれが競争力となるが、泣きを見ているのは負担ばかりが増え、安くこき使われる従業員である。しかし、日本社会を直接支えているのは、ホワイトカラーではなく、現場で作業しているブルーカラーである。
歴史上、東京タワーを作ったのは内藤多仲とされているが、実際に建設した訳ではない。作ったのは現場の鳶職人で、もし仮に鳶職人を蔑ろにして成り手が居なくなれば、東京タワーは建設出来なかっただろう。ちなみに小学校の社会のテストで、〇〇を造った人が分からなかった際に”建設作業員”と書いて部分点を貰ったことはある。
現在、公共交通機関の現業職員は慢性的な成り手不足となっている。専門性を必要とせず、誰にでもできる単純作業だからと、使用者や世間が見下して蔑ろにし続ければ、自動運転で置き換わるよりも前に、運転者が居なくなり、インフラとして機能しなくなるかも知れない。
お客様至上主義を徹底することで、従業員の負担が増大し、それが周り回って成り手不足から運行会社は減便や廃止を余儀なくされ、その地域の利用者が泣きを見る。そんな未来が見え隠れしているのが交通産業の現状である。
自力で移動したくないから、対価を支払い交通機関を利用する。ひとつの便をみんなで共有して乗るから公共交通は安いのであって、そこでホテルのようなきめ細かく、痒い所に手が届くようなサービスを要求するのはお門違いである。
相乗りしている他の乗客が不快にならない、最低限のマナーやエチケットが守れるだけのモラルがない方は、割高なタクシー移動でどうぞ的な、か○はめ波が放てる風潮になるな社会を目指して、ことあるごとにXで #もりやたかし仕事しろ と煽ろうと思う。
[増補]汚客「おまえ降りろ!」運転手「おかのした」
当初の記事から2年が経過し、物流2024年問題で、物流業界以上に煽りを食らっているバスや鉄軌道業界だが、以前記した通り、誰にでもできる単純作業だからと、使用者や世間が見下して蔑ろにし続けた結果、自動運転で置き換わるよりも前に、運転者が居なくなる事態となっている。
これまで事なかれ主義で根本的な解決を先送りしては、ドライバーに責任を押し付けて、現業職を守って来なかった事業者が責任の過半を負うべきであり、元業界人としては自業自得以外の言葉が見当たらない。
さて、そんな薄給、激務、重責の三拍子揃った公共交通機関の従事者だが、24年10月に名古屋市バスで名物クレーマーが「おまえ降りろ!」と詰め寄って、運転手が本当に降りる事態に発展した。
とはいえ、ファクトチェックしたところ、これは切り取りが過ぎる。キチガイが運転手に詰め寄ったのを、他の乗客が止めに入ったことで、あたおかが「暴力を受けた!」と110番通報するオウンゴールをキメたことで、運転手は警察官が駆けつけるまでの間、何もできない状態となったため、営業所にこの事態を連絡すべく、仕方なくバスから降りたのが事の真相らしい。
これは、上役から「明日から来なくて良い」と言われたら、業務命令として額面通り受け取っては、出社しないムーブに通じるものがある。
ちなみに、「明日から来なくて良い」で実際に来なかった場合、判例では歴とした業務命令に当たり、在宅で何もせずとも賃金が貰えるボーナスステージとなるため、証拠として書面で受け取るか、録音しておくのがベターだろう。
話を元に戻すと、旅客運送業界の使命は「旅客を安全に目的地まで輸送すること」であり、顧客至上主義とは一部相反するため、現場ではダブルバインドにも似た無理ゲーが出現する。
本来であれば、事業者側が線引きして、一線を越えたら毅然とした対応を取るようマニュアル化すべきなのだが、古い日系企業の体質を引き摺っていることから、事なかれ主義で根本的な解決を先送り、定年まで指折り数えるような上層部に辟易するのが現場の常だ。
そうした安全輸送を軽視した形での「旅客の要望に応えよ」がエスカレートした結果、「おまえ降りろ!」の要望に応え、安全に目的地まで輸送する使命を反故する結果となった。
平成の初期の頃にはごまんといた、愛想の悪いおっかない運転手が相手であれば「うるせぇバーカ」「やんのかコラ」で、何事もなく運転継続していたであろう昔と、サービスアップしたことで付け上がった、あたおかキチガイクレーマー汚客によって、従事者と何の罪もない乗客が振り回される今。どちらが良いかは読者の判断に委ねる。
元業界人として確実に記せることは、今の交通産業従事者は、旅客や使用者から蔑ろにされ続けていることだ。必然的に従事者としての責任感や誇り、プライドを失うことに繋がり、組織内で思考停止人間が量産される。
その最たる例が、2005年に起きた尼崎での脱線事故で、当該列車に乗客として乗り合わせていたJR社員全員が、事故現場で何ら救護活動を行うことなく、上司の命令で各々の職場に向かった件だろう。
世間から猛烈なバッシングを受けてから20年経つが、この頃からそう大きく変わっていないのが、この業界の悲しい実情でもある。
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