悪事の大半は、教養のない凡人を洗脳することで起こる
鉄道各社で起きている不正検査問題を、元業界人が推察
事の発端は7月に新山口駅構内でJR貨物の列車が脱線したことに伴い、車両の組み立て作業に問題がなかったのかを調査したところ、車輪を輪軸に圧入する際の検査数値が、規定値よりも高かった場合に、規定値内に書き換える”改ざん”が行われていたことによるものだ。
それにより、同業他社でも同じ調査を行なったところ、芋づる式に各事業者で続々と同じ不正検査が発覚している格好となっている。
とはいえ、圧入の作業に不正があったことと、新山口駅構内で貨物列車が脱線したこととの因果関係が、現段階ではハッキリしていないため、某自動車メーカーの不正検査問題のように、国交相が定めている基準値が実態に則していない可能性もゼロではない。
元業界人とはいえ、駅員と乗務員の経験しかなく、車両部門は畑違いであることから、圧入が基準値に満たない場合は、走行中の振動により車軸と車輪が分離する恐れがあるとイメージできる。
しかし、超過したことで強度や剛性に問題が生じて、亀裂が生じるリスクがどの程度のものなのか、いまいちピンと来ておらず、これが「若干超過する分には問題ないと認識していた」につながるのだろう。
なぜこんな事態が起きるのかと言えば、鉄道事業そのものが人口減少やICT化に伴い、マクロでは輸送人員が減少する一方の斜陽産業であり、JRや大手私鉄など、資本力のある事業者ほど、鉄道以外で稼ぐ方針にシフトしている。
つまり、本業の鉄道事業は収入が減る前提で、収入減を補うためにコストカットすることで、利益という名の帳尻を合わせて株主に文句を言われないように取り繕っている。
その皺寄せが人件費であったり、事業者によっては下請けの整備部門で過度なコスト意識が蔓延り、圧入で基準値を超えた(これまで問題のなかった)車輪を、基準値外だからと処分するのはもったいないため、規定値内に書き換えて使用する状態が横行していた辺りが事の真相だろう。
利益を生み出さないコストセンターだからと、車両の保守部門の予算をこれまで削減していたツケが回って来た意味では、現場の従事員が悪意を持って改ざんしたと言うよりも、安直に予算を削った会社側に問題があるように思えてならない。
ホロコースト、ビッグ●ーター、悪徳不動産営業、投資詐欺勧誘の共通点
そもそも、ナチス・ドイツの歴史を齧っていれば、ホロコーストを立案したアドルフ・アイヒマンが、「ふてぶてしい大悪人」であるとの予想に反して、「小役人的な凡人」の印象だった衝撃がなければ、心理学で有名なミルグラム実験には至らなかったかも知れないし、哲学者であるハンナ・アーレント氏が研究の題材にして「エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告」という本を執筆するに至らなかっただろう。
小役人的な凡人であるアイヒマンを歴史に名を残す戦争犯罪者の一人にしたのは、彼の無思想性が素因となったと分析されている。
本人も裁判で「命令に従っただけ」と主張していることからも、普通の小心者で取るに足らない役人が、過度に分業され、責任の所在が曖昧になる環境下では、思考停止状態で上役の指示に従う格好となり、他人に非道な行いをさせることに成功していることが陳腐であることから、「悪の陳腐さ」と名付けられている。
ビッグ●ーターの不祥事を思い出して頂きたい。保険金を増し増しにするために顧客の車をゴルフボールと靴下を用いて傷つけたり、ロードサイドから中古車がよく見えるように、ちょっとやそっとでは枯れない街路樹を除草剤で枯らしたり、伐採していたのは記憶に新しい。
常識的に考えれば、犯罪に手を染めろと言っているに等しい命令に、末端の従業員が従う合理性はないが、実際には全国区で不祥事が多発して大問題となった。
このことからも、教養のない凡人を洗脳することで、常軌を逸した悪事に、罪の意識もなく加担させることが「悪の陳腐さ」たる所以であり、言い得て妙だとつくづく思う。
悪徳不動産営業マンや、投資詐欺の勧誘行為を行う詐欺師も、悪いことをしている自覚があって悪事に手を染めているよりも、無知な若者を演劇の如くテンプレ営業トークを植え付けて、契約取って来いでゴリ押しさせているケースが圧倒多数らしい。
つまり、勘が良くて悪事に加担している事実に気付いた者から、良心の呵責に苛まれて辞めていくが、無知で思考停止状態のままだと、上役の命令がたとえ犯罪に手を染めろだったとしても、言われた通り従って自分の手を汚してしまう。
そこに情状酌量の余地はない以上、例え市長が永遠に進まない立ち退きに激昂して「今日、火をつけてこい!今日、火をつけて捕まってこい!燃やしてしまえ!」と指示されても、イエッサーで火を付けたら捕まるのは市長ではなく自分である。
悪事に加担したくなければ、日頃から教養を身に付けるように努め、自分自身の頭で考える習慣をつけることが、何よりの自己防衛手段となる。
思考停止人間を量産させる「欠乏状態」
人は貧乏な状態になると、IQが9〜13ポイント低下することがハーバード大学の研究で明らかになっている。コンピュータ的な概念で考えると、不足している対象物の存在(研究では金欠)が、脳のメモリを占領してしまい、メモリ不足を引き起こすと言った具合だろう。
つまりお金に限らず、何かしらの欠乏状態となることで、足りない対象物に脳のメモリが占領されれば、メモリ不足で頭が悪くなる可能性は否めない。
私の古巣である鉄道業界は、この脳のメモリ不足を引き起こして、頭を悪くさせて、思考停止人間を量産するのに相性が良い。
と言うのも、冒頭の不正検査問題であれば、1年間で鉄道車両の検査、修繕にかけられる予算が縮小傾向にあり、年々少なくなる予算の中から、所属車両の法定検査や、サービスアップのための改修ノルマをこなす必要がある。
そんな欠乏状態だからこそ、車軸の圧入で基準値を超過しても、コスト意識で脳のメモリが支配されている上役から、「今日、火をつけてこい!」の要領で、「若干超過する分には問題ない!書き換えろ!」を指示される。
本来であれば、その基準値の根拠が何かを突き詰めた上で、若干超過するのが問題ないのかを判断しなければならないが、検査しなければならない圧倒的な車両数を目の前にして、作業に忙殺されると、やはり脳のメモリが支配されて教養のない凡人ほど「そう言うものなのか」と受け取り、何の疑問も持たずに検査数値の改ざんに手を染めてしまう。
それが何かの拍子に世間の常識という名のフィルターを通した瞬間に、大問題へと発展する。内部に居る当事者は世間とのギャップに気づけない意味で、これはある種の洗脳だろう。
元業界人として避けて通れないのは、2005年に尼崎でJR史上最悪の列車事故が起きたが、直接的な原因はスピードの出し過ぎでカーブを曲がりきれず横転したという、鉄道模型のスケールスピードが掴めていない子どもが調子に乗ってかっ飛ばすことで、一度はやらかす形で学習する、超古典的な事故を21世紀にもなって引き起こしたのだ。
運転士は遅延やミスを繰り返したことで、悪名高き「日勤教育」という名の懲罰への恐怖感で脳のメモリが支配された結果、遅延を回復するために脳死でかっ飛ばし、ミスを隠蔽するために車掌と口裏合わせを行うための無線の傍受して、運転から意識が逸れた矢先に、急曲線と言われる魔のカーブに差し掛かり、事故に至ったのではないかと、事故調査報告書で推察されている。
運転が秒単位で定められ、法令を遵守すると遅延回復が困難となる運行計画では、常に定時運行という名のもとに、時間の欠乏状態に晒されているわけで、頭が悪くなって正常な判断ができなくなる。
ドロップアウトした今だから記せるが、私も1〜3分程度の遅延をした際に、「時短して遅れを取り戻さなければ!」と脳内メモリが支配され、普段やっている確認作業を「何となく」省略したことで、ミスに至った経験がある。
免許すら持っていない上役から「なんでそんなミスをしたのか」と詰められた際に、「ハーバード大学の研究で人は欠乏状態に陥ると頭が悪くなる。余裕のない運行計画が原因だ」と説明したら「理由にならない」と棄却された辺りで、原因究明がしたい訳でもなく、歳だけ重ねた残念な思考停止人間だと察し、コイツには何を言っても無駄だと怒りを通り越して呆れた。
世の中には私の知らないことが膨大に存在するし、高い教養の持ち主だとも思わない。一生涯をかけてもその全貌には辿り着けないと知りつつ、それでも学び続けなければ、万物の霊長たる人間としての成長は止まる。
自分自身の頭で考えられる余裕があるからこそ、思考停止人間を量産させては、隙あれば悪事に加担させるような構造の鉄道業界から足を洗ったのは必然なのかもしれない。読者の皆様も無自覚に非道な行いに手を染めたくなければ、余裕と教養を持つことをお勧めする。