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民度が浮き彫りになる、ごみ集積場。

分別なき輩は、そもそも注意書きを見ない。

 20代前半、転職が決まり俺ら東京さ行くだと、子供部屋おじさんから脱却して、47,000円のボロアパートを借りたが、この物件が人生史上最も高額な賃料となることはこの時は想像もしなかった。

 自分が働かなくても食っていけるよう、資産運用に陶酔しては、入金力を最大化するために、転居する毎に家賃のグレードは下がり続け、それに連動するかのように住人のグレードも下がっている感は否めない。

 私が住む前の住人の郵便物が、転送届すら出していないため誤配されるケースは皆勤賞だったが、軒並み支払い催促やら、差し押さえやら、弁護士・社労士事務所からの書類なあたりで、住人の質は察しが付くが、この時ばかりは、至って平凡な筈の自分が、かなり真っ当に生きている部類に感じられる。

 そんな格安物件巡りも、とうとう地方移住によって都内に出た時の最初の賃料で、1ヶ月分の家賃+生活費と、恐ろしく低廉な域に達した。

 そもそもの最低賃金が低い地方部だから、家賃もそれなりに低額とはいえ、ゴミの分別ができない特定の住民に向けた警告書が、集合住宅のポストに一斉に投函されていたのは今回が初である。

 管理会社的には検討は付いているものの、ピンポイントで注意すると逆上して、何されるか分からない怖さから、全世帯に一斉に投函したのだろう。

 私は都内に居住していた頃、平日の朝に散歩して、回収される前のゴミを見ては、地域の消費性向を推察していたため、分別されずに突っ込まれているゴミの特徴からして、単身か否か、年代、性別辺りでおおよそ察しはつく。

 かつての駅係員としての経験を補足させて頂くと、案内や注意書きをきちんと読む傾向のある人ほど、管理能力が高いため、常識の範疇である至極当然な内容からして、そもそも読む必要性がない。

 反対に読まなければならない輩ほど、管理能力の低さから、何を書いたところで、そもそも見ないし読まれない矛盾がある。このことから、誰のために掲示物や書類を掲示しているのか、やってます感を出すための無駄な作業としか思えなかった。そんなことを投函されていた注意書きを読んで思い出した。

経済的に余裕な人、ゴミまで気が回る説。

 私は早期退職に至るまで、鉄道員として勤めていたため、ゴミを収集した経験がある訳ではないが、社会インフラを最前線で支える割に、待遇面諸々報われない職業であることは共通している。

 エッセンシャルワーカー全般に同じことが言える。社会インフラだから、機能していて当たり前で、止まろうものなら利用者から袋叩きにされる。

 止まって恨まれることはあっても、日常で感謝されることは殆どない割に、大した賃金が貰える訳でもない不遇さから、いち経験者としては、社会インフラを決して高給ではないにも関わらず最前線で支えている方々に感謝しかない。

 だからこそ、日々社会を支えているエッセンシャルワーカーの気持ちになって、日常生活を営むように努めている。

 この執筆前に出した古紙回収も、前夜が悪天候だったため、当日出していないモラルのない住人のは悉くずぶ濡れ。朝になってから出した私ともう1世帯のものだけが乾いた状態で出ていた。

 濡れたものでもリサイクルできるが、回収する側の身になれば、夜中に出すのではなく、朝に数分捻出して出して貰った方が、回収しやすいのは小学生でも理解できる。

 割れ物や刃物などの鋭利な物の捨て方も、各自治体が丁寧に梱包の仕方までイラストで記載しているが、安全に回収するためのマナーなのだから、察しと思いやりが美徳の、典型的な日本人が多数派の社会であれば、本来は記載する必要すらない、至極当たり前な内容だと思う。

 しかし失われた30年で、中流が没落したことで、捨ててしまえばそれで終わりの、ゴミなんて小さなことにまで気が回るだけの余裕が、社会の大部分から欠落して、結果としてモラルが低下しているのだろう。

 裏を返せば、ゴミにまで気が回る人には、それだけの経済的や心理的な余裕がある、何よりの証拠ではないだろうか。

捨てればゴミ、生かせば資源。

 私が居住する自治体は、一番小さい指定ゴミ袋が20L相当だが、最も排出する可燃ごみですら、1〜2週間でようやく1袋だけ出す程度だ。

 それも満杯ではなく、生ゴミの匂いや虫が湧かないように7割程度でこまめに出している状態で、世帯持ちの友人からは、私が1ヶ月で排出するゴミ(40〜80L)を、ウチは1日で排出すると笑っていた。

 とはいえ、可燃ごみの収集日に集積場に出されている量を鑑みれば、友人が標準的だろう。自治体にもよるが、週2回の可燃ごみは、世帯ごとに45L袋を4つ出される想定で、収集車や人員を配置している。裏を返せば、1世帯が毎日45Lのゴミを出している前提の大量消費社会とも捉えられる。

 ゴミの排出量が30倍違う友人が3人世帯で、私が単身者であることを鑑みても、1人あたりの排出量に10倍近く差があるのは、私がそもそもゴミで出すのは最終手段と考えており、ゴミになると分かり切っているものほど購入を避け、生かせる資源は捨てずに再利用や、リサイクルを心掛けている。

 紙媒体は個人情報の部分だけちぎり、シュレッダーで裁断して捨てるが、それ以外は全部古紙で出せる。自治体によってはシュレッダーしたものも袋でまとめれば出せたりする。

 封筒は窓がそのまま古紙で出せるものと、剥がす必要のあるものが混在しているが、後者だとしても窓部分だけ捨てて、あとは古紙回収に出す。

 自炊で出てくる白色トレイなどは洗って、スーパーの入り口にある回収ボックスに、次に買い物する際に持っていけば、家庭ごみや資源として出さずに済み、溜め込むこともない。

 古紙と白色トレイの資源回収だけで、可燃ゴミはそこそこ減らすことができ、残りの大部分は生ゴミやプラ製品・容器となる。

 生ゴミは処理機かコンポストを導入すれば削減できるし、プラ容器も購入時に意識すれば、極力白色トレイのものを手に取るため、ゴミになるのはラップフィルムのみ。

 ECサイトで買い物すると、商品+段ボール+梱包材が届くが、商品以外はフリマアプリなどで再利用すれば捨てずに済むし、消耗品は詰め替え用を買えば、容器は再利用できる。

 こうした再利用で極力捨てないネオ江戸時代的な生活様式を心掛けると、大量消費とは無縁となり、自ずと支出は低廉に、懐は潤い、余剰資金で自分や株式に投資するようになる。その積み重ねにより、時間と共に富が富を生む、複利の力を実感できるようになる頃には、となりの億万長者に近付いている筈である。


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