バスがないなら電車を使えば良いじゃない、で済まない公共交通の人手不足
路面電車や地方鉄道も、バスと同じ問題に直面している
ニュースサイトのリコメンド機能により、北と南の公共交通機関で、人手不足が深刻となっている記事が並んだ。つい最近、伊予鉄道の観光資源である「坊ちゃん列車」や、秋の行楽シーズンを前に特急列車の減便を発表した長野電鉄のニュースを見たばかりである。
元鉄道員として何度でも記すが、他人の命を預かり、ワンミスが文字通り命取りとなる重責さの割に、若手だと手取りは20万円に満たない薄給。
しかも健康を害するシフトワークで、要員不足を背景にインターバルも碌に与えられず激務なのは、某社が国交相のパブリックコメントで「13連勤手取り14万電鉄」と揶揄されたことからも周知の事実となっている。
もはや少子化により、企業間の若手の獲得競争が激化して厚遇が提示されている若者には「花形職種」というだけでは、マニアですら響かないうえ、自動運転技術の進歩により、乗務員も20年後には無くなっている職業の可能性が高いことは、かつて切符に鋏を入れる係員が自動改札機の導入で消えたことからも想像に難くない。
職務も決められたことを決められた通りにやるだけの単純作業でスキルは貯まらず、転職しようにも、職歴はあるが事業会社で役立つスキルを持ち合わせていない。
すなわち、自動運転で役目を終える頃の転職市場での評価は、年だけ重ねた扱いづらい人材以上でも以下でもなく、どのみち教育というコストが発生するなら、フレッシュな若い人材を優先して採用するのは自明の理で、その未来が目に見えている状態で、わざわざ重責・薄給・激務の三拍子揃ったブラックな職に就く物好きなど、そうは居ない。
しかも、ドライバーに関しては動力車操縦者運転免許という国家資格が必要だが、その割には重責・薄給・激務なうえに、大型二種免許と違って潰しがきかない。
バスドライバーは、会社のお金で免許を取得させて貰って、嫌になったら免許を持ち逃げして、文句を言わない荷物を運ぶトラックドライバーになることができるが、鉄軌道の場合は同業他社で似たような列車を運転をする以外の使い道がない。
そのため、身体を壊してシフトワークは無理だが、免許を活かしてこども園の送迎バスを運転するみたいなオプションが皆無で、二種免許よりも免許の持ち腐れになりやすい。
その意味で路面電車や地方鉄道も、構造的にはバスと同じ問題に直面しているが、免許取得のハードルの高さと、現行の枠組みでは、現職に就か(け)ない免許保有者、つまり潜在運転士の活用が絶望的なため、マクロで見たらバス以上に深刻かも知れない。
およそ30年弱、消費増税分以外での価格転嫁をして来なかったツケ
そもそも、公共交通に限らず、社会インフラを維持する上で必須なエッセンシャルワーカーが、なぜ不当に安くこき使われるのか。この問題を煎じ詰めると、相反する公共性と営利性が同時に求められる矛盾した構造に起因する。
公共交通であれば、自家用車を所持して移動することが難しい交通弱者のために存在する以上、不当に高い運賃は許されず、ヤードスティック規制と言い、国交相が運賃を収入原価+適正な利潤の範囲内で収まるよう、上限を定めている代わりに地域独占が認められている。
しかし、元業界人として蓋を開けてみると何を以て「収入原価+適正な利潤」なのか理解に苦しむ。
というのも、今年に入って収入原価の算定基準が四半世紀ぶりに見直され、JR西日本やJR九州で25年4月1日付で、全面的な運賃改定が行われる以前の改定の歴史を遡ると、JRは平成8(1996)年1月10日の7%前後の値上げを最後に、およそ30年弱、消費増税分以外での価格転嫁をして来なかった。
https://www.mlit.go.jp/common/001065155.pdf
新線建設や立体交差化などの、特別な事情があった民鉄を除けば、やはりJRに準じた形での、消費増税分の価格転嫁しかして来なかった。
どう考えても30年前から最低賃金も物価も上昇している意味で、収入原価も相応に上昇している訳で、本来であれば、適正な利潤が削られた分を都度、運賃改定しなければならなかった。
しかし、収入原価の算定プロセスが煩雑だったり、値上げ把握というデフレ社会の同調圧力。当時の担当者が定年を迎えて、原価を算定する形での運賃改定の手続きができる人材が不在となった影響からか、現実は収入原価でそれなりのウェイトを占める人件費を削る形で、適正な利潤を捻出する安直な方針に舵を切った。
その影響をモロに受けるのが現場の従事者な訳で、私もかつて、その一員として、これまで散々やりがい搾取されてきた。
その歪みが今になって人手不足となり、運行の中核を担うドライバー不足で減便や廃止に追い込まれている現状を見ると、控えめに言って「ざまぁみろ」以外の言葉が見当たらない。
労働者を守る最後の砦だった筈の労働組合の多くが、会社との駆け引きで私利私欲に負けた組合役員の手のひら返しによって、労組という組織構造そのものが破壊され弱体化。労使協調路線という名の御用組合となって今に至るのだから、労組にも責任の一端がある。
その意味で、国家資格がないと運転できない乗り物で、同じ人命を預かる航空パイロット並みの給与を支払うと経営破綻する、構造上の欠陥を抱えているのが公共交通機関と言える。
将来的に公共性を重んじて公金を投入するのか、営利性を重視してタクシーより気持ち安い程度まで運賃を上げるみたいな、極端な舵取りをしない限り、決して未来が明るくはない斜陽産業の域を出ず、これまで以上に人材確保に窮する意味で、自治体や経営陣は事態を重く見た方が良い。
その被害を真っ先に被るのは、公共交通機関を必要としている交通弱者に他ならない。公共性を重視するのか、現状維持という名の営利性に振り切り、縮小再生産し続ける失われた30年と同じ道を選ぶのかで、10年、20年先の公共交通の在り方は大きく変わるだろう。