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大衆が社会の歯車なら、エリートは潤滑油。


エッセンシャルワーカーを敬う基本姿勢。

 外資系金融や商社などの、いわゆるエリートサラリーマンたちと、エッセンシャルワーカーもとい生活必須職従事者。どちらが偉いか問われれば、多くの人は直感的に前者を選ぶだろう。

 その職業に就くために要求される学歴や入社の難易度。年収をはじめとする待遇全般や、意思決定が世の中に与えるインパクトの大きさ等々。定量的に観察すればするほど、前者の数字が大きい訳だから、前者が偉いとなりがちである。

 しかし、その理屈を突き詰めると、お金を持っている奴が偉いという、札束で殴り合う残酷な資本主義社会の極地にたどり着く。

 資金力さえあれば、赤字覚悟の価格設定で同業他社を潰しにかかり、ジリ貧になったところで買収に踏み切って、同業他社を安く買い叩く。それの繰り返しにより、競合企業が全て消え去り、独占状態になったところで、価格を引き上げてボロ儲けをする。

 そんな、倫理的にいかがなものかと思うようなことが、市場原理によってまかり通ってしまう世界が、お金を持っている奴が偉いと思い込む状態の成れの果てであり、「容赦ない」を意味する「Relentless」に.comをつけたリンクでなぜか飛ぶ、見慣れた某EC事業社が、米国の紙おむつ宅配事業でやったことでもある。

 そう考えると、私は安直にお金を持っている奴が偉いとは思わない。出自が駅員だった影響も多分にあるが、むしろ往々にして不利な雇用条件でありながら、誰かがやらないと日常生活が成り立たなくなるような、生活必須職従事者の方が尊い存在であり、単にお金を持っている奴よりも偉いと考える。20代ながら8桁円の資産を保有するに至った今でも、この基本姿勢は変わらない。

やりがいだけでは、生計が立てられない。

 しかし、私がどれほど尊いと思いながら、エンドユーザーとして従事者に感謝の気持ちを込めて丁寧に接したところで、現実世界では生活必須職従事者が報われないような仕打ちが蔓延っている。

 きつい、汚い、危険の三拍子揃った3K職場。報われない低賃金。人によってはいつ切られるか分からない非正規雇用。そんな誰もやりたいと思わない職に就くだけで、十分立派で誇っても良い筈なのに、日本社会では縁の下の力持ちで日の目を見ることはない。

 いつも通りの日常を維持するだけでも大変なのに、利用者はさもそれが当たり前のように振る舞い、感謝されることは滅多になく、何か問題が発生すれば、自分たちが何か悪いことをした訳でなくとも、現場に居合わせているだけで、たちまち苦情や心ない言葉を浴びせられる。

 バスや鉄道の運転手が不足して、減便して不便になり、余計に採算と待遇が悪化して、更に人材が不足する悪循環に陥っている公共交通だが、求めるサービス水準と待遇が見合っておらず、現代版奴隷労働だから免許を持っている人すらその職に就きたがらなくなっているのが実情である。

 やりがい搾取の言葉にもあるように、やりがいだけで生計を立てるのは不可能であり、日本社会や日常生活の維持を、現場で一手に背負う重責を担わせるのであれば、それに見合った対価が必要であり、現状の対価が適切ではないから、市場原理によって成り手が不足しているだけの話である。

たかが歯車、されど歯車。

 タイトル回収になるが、高学歴エリートとはかけ離れた世界に居る多くのパンピーは、身体が資本な肉体労働者として、社会の歯車となるような職業に従事している。

 それに対して、ご立派な大学で優秀な成績を修め、ご立派な企業に幹部候補として就いた様な、いわゆる高学歴エリートの方々は頭脳労働者として、社会の潤滑油となるような職業に従事している。

 この歯車と潤滑油の関係は、工業高校が出自である私の持論だが、極論を記せば、社会を維持する上で必須なのは歯車である。潤滑油がないと、損耗が早まったり、時には壊れるものの、無ければ無いなりにどうにか回る。しかし、逆は成立しない。

 私が何を主張したいか、勘の鋭い方はお分かり頂けたと思うが、高学歴エリートばかりを礼賛して、みんな大卒で、猫も杓子も頭脳労働者になるように仕向けている日本社会がこのまま続くと、潤滑油ポジションばかりが生み出されて、肝心の歯車となる人材が枯渇する訳で、そんな社会が果たして健全に機能するのか疑問である。

 現に歯車は減少の一途を辿っており、残された歯車をいか効率的にこき使うかと、エリート層が油を塗りまくり、過度に回転数を高めるものだから、本来であれば油を差せば長持ちするはずの歯車が、急激に消耗して自然損耗以上に壊れては、更に歯車が減少している悪循環の渦中に居る気がしてならない。

 私も18歳で社会に出て、20代半ばで身体が壊れたが、同世代で潰れている者は私だけではない。

 身体が資本の生活必須職従事者ほど、運が悪いと潰れて資本を奪われては、否応にも頭脳労働者側に転向せざるを得ない状況に陥るものの、その世界は学歴エリートの独断場であり、学歴や職務経歴などの人的資本がないことから門戸が開かれることはなく、窮地に追い込まれる。

 潤滑油側に居るエリートの方々は、身体が資本ではないが故に、それが壊れるリスクが軽微な、割合良い待遇が与えられる中で、やれどこに転職しようかなどと、自由な働き方が選択できる環境に居る。

 だからこそ、それが叶わず社会を支えている歯車側が報われる社会になるよう、重要なポジションに就いた際に意思決定してほしいと願う。

 たかが歯車、されど歯車。短き人生を社会の歯車として全うするどころか、10年足らずで潰れて社会の枠組みから排除され、株で飢えを凌いでいるしょうもないZ世代の戯言である。


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