年収最小化、資産最大化の法則?
売上に必要な原価をセットで考える。
YouTubeで成田兄弟の動画を観た影響か、上記の動画がレコメンドされた。共演者のひとりが、「売上最小化、利益最大化の法則」の著者であり、北の達人コーポレーションの代表を務める木下さんだと一目で分かった。
中小企業のオーナーになったつもりで想像すると、事業が軌道に乗っている時は、メディアに露出するよりも、経営に注力したいと思いそうなもので、実は事業が順調ではないのではないか?と、マネーの虎を観て形成されたステレオタイプから、変に勘繰ってしまうが、東証プライム上場企業にもなれば、代表が舵取りをしなくてもビジネスが成立する域に達しているのかも知れない。
経営の鉄則は、売上-原価=利益。つまり、利益を増やすには売上高を増やすか、原価を抑えるか、若しくはその両方という考え方が一般的で、売上を最小化したら、利益を最大化できる理屈は、直感的ではない。
このカラクリは利益率にある。売上高が稼げるだけで、殆ど利益にならないような取引が、会社全体の利益率を押し下げている側面があるため、それを意識的に止めて、利益率の高い取引に注力することで、利益を最大化できる。と言うのがざっくりとした内容である。
肝となるのは、この売上を得ることで、いくらの利益が得られるか。裏を返せば、この売上を得るために必要な原価はいくらかと、セットで考える発想である。
お金の大半は、不満の解消に使われる。
これは我々の人生においても同様に当てはめられそうである。橘玲さんの著書「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」には、お金持ちの方程式
(収入-支出)+(資産×運用利回り)
と記されている。
括弧の前半は企業会計で言うところの損益計算書。後半が貸借対照表に相当する。先述の売上を収入、利益を年間貯蓄額と置き換えるなら理論上、収入にはなるものの、売上原価が嵩むような賃金労働は控えて、割りの良い労働だけ行うと、年間貯蓄額(=資産)は最大化できそうである。
売上原価が嵩むような賃金労働なんてやっていないと、多くの方が思うかも知れないが、労働するための必要経費は、何もスーツや靴、鞄、クリーニング代などの、給与所得控除で連想する、所謂みなし経費に留まらない。
仕事の日にモチベーションを保つため、頑張った自分へのご褒美という名目で、割高なコンビニでコーヒー、スイーツ、お菓子、栄養ドリンクを買っていないだろうか。
ストレス発散兼小休憩のためのタバコ。帰宅後に晩酌するためのお酒。ひと時だけでも現実を忘れるためのイベント代など。これらの誘惑に対して一切手を出さず、修行僧のような慎ましい生活でも、労働し続けることができるだろうか。
私は冗談じゃないと思う。ただでさえ怠惰なのに、アメが貰えず、ムチだけになれば、ある日突然飛ぶ自信すらある。それ位、本来生活に必要なコストと言うのは、我々が想像する以上に低廉であり、金銭消費の大半は生存するためではなく、仕事の不満やストレスを解消するために使われている。
賃金労働者では、収入が頭打ちになる。
今でこそ、会計の知識を有して言語化できているものの、私は弱冠にしてこの真理に何となく気付いていた。労働集約型産業の典型である鉄道員は、正社員とはいえ高卒では、フルタイムで勤めたところで、残業をしなければ手取り13万円がザラで、先輩や同僚の多くは生活残業に命を賭けていた。
その影響もあって、高卒で右も左も分からずに社会に出た私は、月80時間近い残業と、ノー残業マンスの両極端を経験する過程で、過労死ラインギリギリまで残業した月の支出の増額分が、税引き後の残業代と大差ないことに気付いた。
残業すればするほど、パーキンソンの第二法則である「支出の額は収入の額に達するまで膨張する」に限りなく近づいていた。それに、標準報酬月額が上昇すれば、納付する社会保険料も増加する。翌年の住民税も高くなる。
賃金労働者である以上、残業代で擬似的に収入を右肩上がりにしたところで、36協定の上限か、心身が壊れるかで、いずれ収入は頭打ちになる。一方で支出は右肩上がりで増加し続ける。こんな綱渡り的な家計が持続する筈がなく、何かの拍子で破綻する。
そう直感した私は、残業しないマンに転身して、日立製作所武蔵工場事件のような不当解雇はないにしても、相応な嫌がらせは受けていたが、やられたらやり返す、倍返しだ!の精神で報復措置を繰り返した結果、詰めの甘い管理職側が、抜け目ない私よりも先に根負けしては、腫れ物扱いされる姿を見た組合役員からはラブコールが来るカオスな展開となった。
その結果、転職後に年収400万円、可処分所得320万円と、日本人の中央値に近い収入になってから、年間投資額を200万円以上捻出する域に達した。
ノー残業キャラが定着したのも束の間、決められたことを決められた通りに実行。余計なことはするな精神が蔓延る、単純作業そのものや変則的な勤務形態が、そもそも合わなかった結果、最も病気をしない筈の20代半ばで大病を患う解せない結末を迎えた。
病気は解せないが、もし10代のまま過労死ラインギリギリの生活を続けていたら、理論上、地方で慎ましく暮らすのであれば、金融資産所得だけでも食べていけるだけの資産規模になるまで、身体が持たなかっただろう。
同じ病気を患うにしても、部屋には対して欲しくもないストレス発散目的で購入したもので溢れかえり、資産形成もロクにできていない状態では、早期退職の選択肢はない。ギリギリではあるが、カードの用意が間に合った意味では運が良い。
今は理論通り投資収益一本で、スローライフを実践できるかを試行するのに、早期退職と地方移住を実行する段階になっているが、また年収最小化、資産最大化を試せる程度に、懲りずに賃金労働する日が来ることを期待しつつ、療養も兼ねて地方で隠居する所存である。