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いま、子どもたちの未来に役立ちたい。
2025年3月現在、キャリアが7社目に突入した48歳のおじさんが、サラリーマン人生の後半戦で教育ビジネスにデビューした今だから思うこと。
ここでいう「子ども」というのは、自分の子どもも含めた世の中の全ての子どもたちのこと。自分が今やっていることは日本国内に閉じているかもしれないけど、未来を担う子どもたちの力になりたい。ひたすらそう思っているわけです。うさん臭いかもしれないけど本当。
▼純粋に子どもが好き(健全な意味だからね)
ロスジェネ世代でもちょっと珍しめの4人姉弟の家に育ち、物心ついたころから幼い弟たちがいて、自分で言うのも何ですが、よく面倒をみて、よく遊び、弟たちを可愛がっていた少年時代。ご近所や友人からも”弟想いのお兄ちゃん”と評判でございました。
今でも小さな子をみると目を細めてしまいます。
抱っこなんぞしようものなら寿命が延びてしまいます。。
▼そんな子どもたちの幸せとは
素直に夢を語れる環境にいること、他者からの愛情を心身共に感じながら生き生きと成長できることが幸せなのではないかと私は考えます。逆に大人の幸せは、そんな環境を子どもたちに提供できることだと思っています。
▼なのになぜ格差は生まれてしまうのか
残念ながら産まれる環境やシチュエーションは自分では選べない。裕福な家庭に生まれても愛情は貧しいかもしれないし、またその逆も然り。経済的格差、教育格差などいろいろあるけど、親が子どもに対して経済的・時間的・精神的投資(こんな日本語あるか知らんけど)をどれだけ出来るかで変わってくる気がしています。親って本当に大変だし大事だし大変だし大事。
▼我々、大人には何ができるのか
これを常に考えています。まずは自分の子どもたちを「一人前の大人」に育て上げることが重要だと思うのですが、親として何より大事なのは「恥ずかしい生き方をしない」ことだと最近思い始めました。優しく、正しく、誠実に生きている姿を子どもたちにしっかり見せること、「自分は親のようになりたくない」と反面教師になってしまうのは悲しい限りです。(かく言う私は完全に自身の父親の反面教師ですが)
また、もう一つは「幅広い教養を与える」という事だと思います。教えるというより一緒に考える。つまりいろんなことを会話をすることだと思います。時事ネタでもいいし、勉強のことや友達のこと、地域のことや仕事のことでもいい。今何が起こっていて、今後どうなっていくのか、自分は何をすべきなのか、、、など正解は無くてもいいので、話をしながら一緒に考えることがとても大切だと思うのです。私はそれが彼らの自立・自律に繋がると信じています。
ちなみに、私は自分の子どもたちにこう言っています。「親はあなたたちの保護者だけど、面倒を見る係りではない」自分のことは自分でやる、その中で意味や正しさ、本質や効率や無駄を見出していくことになると思っているからです。
で、そんな私が選んだ仕事は「子どもの未来のための仕事(自称)」でした。なんだかんだでシガナイサラリーマンなので、会社からお給料を貰いながら偉そうななことを言っている感じですが、自分が関わりたい世界がビジネスとして回っているのであればそれは嬉しい限りだし、子ども未来≒日本の未来って国や自治体ばかりが頼れる先ではない、我々サラリーマンだっていろいろ出来るはずなのだ。
だから今日も明日も自分のできることをやる。それだけなのです。