リセット世代と呼ばれて

1976年生まれ、ロスジェネの備忘録です。 いろいろな会社や仕事を経験した思い出の書。 IT業界を中心としたSalesとMarketingの領域が主戦場のおじちゃんです。

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  • とらねこ村<トランスミッション>

    • 157,503本

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最近の記事

ゲーミングイベントのROIで泣く41歳

今回は店頭イベント施策を頑張っていたころのお話。 まず初めに私は「日本で一番最初に家電量販店でゲーミングイベントを開催した人」と自称しています(未調査) そして私はゲームを一切やりません! そもそも何でイベントやキャンペーンを実施するのか? 家電量販店との仕事はどちらかというと業者側のgiver精神で成り立っていることが結構あります。もちろん儲けは大事だが、いかにいいタイミングでいい場所にモノを置いてもらえるか、販売にフォーカスしてもらえるかが重要で、そのために本部やお店に

    • 40歳で味わったコンシューマービジネスの怪

      突然ですが、ご存じだろうか。。。? 家電量販店でPCを購入する際に大きく2つの方法があることを。 ① 売場にある欲しいマシンを購入する ② メーカーのサイトで好みのマシンを申し込んで店舗のレジで支払う 私が主に担当をしていたのは②の仕組み。 売場ではBTO(受注生産)とか言われており、社内ではshop in shopなどと呼ばれていたっけ。主要都市に店舗を持つ家電量販店を中心にブースを持っており、そこに数名のスタッフを配置してお客様にPCを提案・販売するのだ。 上記の通り

      • 違和感は正しいと信じた39歳のキャリアチェンジ

        ゴリゴリにやってきた法人営業からまさかのコンシューマービジネスへキャリアへのチャレンジしたという話。主戦場が家電量販店になっていくのであります。 外勤営業の仕事環境が3年目あたりから少しずつ変わり始めた。 ひとりぼっちで始めた外勤営業だったが、ひとり、またひとりと人数が増えてチームぽくなってきたのだ。中小企業相手の営業チームは手数がこなせるインサイドセールスが主役。外勤はそのサポートとして活動する。(どうしても会わなければいけないとか、きっかけを作って案件化しにいくとか)そ

        • 38歳、IT業界のレジェンドたちと。

          ふと、とんでもない大物に近づけたりするのが外資・大手の面白いところ。 そのうちの1つのほろ苦いエピソード。 この頃、日本のインターネット黎明期に活躍された方々と電子決済関連の仮想化プラットフォーム開発のプロジェクトを進めていた話。その企業に不義理を働いてしまった苦悩が今も胸に。 協業体制を提案 今でこそペーパーレスやリーガルテックは普通にSaaSで存在するようなもののだけど、2015年当時はかなり先進的。そんなベンチャー企業の担当をしていて、とても名前を出せない業界のビ

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        記事

          数十万社vsオレ -37歳の憂い-

          チームに一人の外勤営業に対し、担当のお客様は全国中小企業ウン十万社という地獄。当たり前だが周りきれるわけない。なので営業に行くのではなく、お客様の方から来てもらおうや!という発想で全国展開のソリューションセミナーを企画して始めてみたのがこの頃。10年くらい前の話なのでまだウェビナーなるものは世の中にはない時代のおはなし。 ちなみに当時のセミナーの内容はこんな感じ(時代を感じるぅ) ・ ファイル共有における中小企業あるあるネタと対策 ・ セキュリティの考え方、インシデントの紹

          数十万社vsオレ -37歳の憂い-

          36歳でも大失敗。クレームだけならまだしもよ。

          システム導入でお客様に大迷惑を掛けてしまった話であり、深夜1時に執行役員をタクシーで呼び出して謝罪させた話でもあり、それだけじゃない不運も私を襲ったのであります。あああ。 こんなはずではなかった とある保険代理店のお客様に懇意にしていただいており、ベンチャーで業績は好調、増員・増床で広いオフィスへの移転計画があり、お付き合いの流れで新オフィスのITインフラの一切を任せて頂くことに。但し、予算に限りがあり移行作業はギリギリの価格で調整して進めた。 まぁ正直OAのシンプルな導

          36歳でも大失敗。クレームだけならまだしもよ。

          35歳のリセットで得たもの、失くしたもの。

          数か月の休職後、別のポジションで復帰した話。 夏休み明け学校に行くときにちょっと緊張感ありませんでした?そんな感じに似てたかもw 元々部下だったインサイドセールスメンバーと外勤営業として組んで仕事をすることに。もうそこには意地もプライドも無いのです。この頃から良くも悪くも仕事は「ああしたい」「こうしたい」ではなく「食ってくため」と割り切った捉え方に変わっていく。そしてお客様と会話することの楽しさを再認識することになるのであります。 もちろんマネジメントでも現場のインサイドセ

          35歳のリセットで得たもの、失くしたもの。

          34歳で知った、メンタル不調って。。。の話

          私の不調など一般的に見れば私はだいぶ軽傷だったはず。(たぶん) 本当にダメになってしまう前にギブアップしたからだと思う。これがもう少し遅れていたら結構マズイことになっていたような気がするのです。 まぁそんな感じだったので3ヶ月で徐々に職場復帰することができました。 服薬は2年くらい続いたけどね。 - メンタル不調というけれど - 医療従事者ではないのであくまでも個人の見解にはなるけど、鬱症状はストレスや不安・疲れなどの影響で脳が正常に機能しなくなり、不調を発症している状態

          34歳で知った、メンタル不調って。。。の話

          34歳でメンタル崩壊がもたらしたオプション。

          まさか休職が家族・家庭へこんなにネガティブインパクトするなんて思ってもいなかった、という話。 誰も幸せにならないってこういう事なのかもなと。 妻への負担がひどかった この頃、ふたりの子供たちはまだ幼児。まだまだ手もかかり大人に自分時間などない。そんな中、旦那が毎日家にいるんだからただのストレスだよね。もちろん家のことはやるのだけど、思うように考えて行動したりできないこともあったので、たいして役には立たず。。。後述する実家とのゴニョゴニョもあり、ある日彼女のストレスが大爆発

          34歳でメンタル崩壊がもたらしたオプション。

          34歳でメンタル崩壊に至るまで。

          「鬱症状だね、会社休める?」医師の無邪気な言葉が脳裏に焼き付いてる。 これは異動して2.5ヶ月でノックアウトされ戦線離脱した話。自分の力不足とパワハラがその原因。良くも悪くもここから人生が少しずつ変わり始めたのだ。 - 新しい仕事と上司とのあれこれ -  新しいチームはベテランも多くみんな自立していて、ピヨピヨを育成してきた自分にとってはだいぶ違う仕事になった。毎日の数字の進捗、メンバの行動管理、案件の受注確度の管理やレポーティング、KPIとKGIの達成に向けたマネジメ

          34歳でメンタル崩壊に至るまで。

          鎮火せよ!33歳のハラスメント事件簿

          同僚マネージャーが部下に人事に駆け込まれて大変だったお話。 Bossから連絡が「ちょっとマズいことになった。Bさん(女性)からパワハラのアラート出た」と。リーマンショックの傷も癒えてないのに。 当時本社チームは2チーム。私と同僚のマネージャー(以下”Mさん”)が1チームずつ管理していたのですが、小さな所帯だったので常に一緒に活動していました。その同僚のMさんはいわゆる ”空気を読めない系” の人で、まぁまぁ危なっかしい発言や行動の多い人ではありました。 そんなMさんが何

          鎮火せよ!33歳のハラスメント事件簿

          32歳に非情な試練、リーマンショック。

          社会人10年生、駆け出しのマネージャーが3人のメンバーを辞めさせた話。 リーマンショック。大々的な報道でしたよね、でも恥ずかしながらそれがどんなインパクトがあるのか、ちゃんと理解していませんでした。報道から数か月遅れで凄いインパクトが来て、みるみるうちに状況が悪化していった。売れない。とにかく売れない。本当に売れないのだ。 早々に組織のスリム化が始まる。特に外資はこのあたりのフットワークがまぁ軽いし早い。間接部門を中心にガンガン人が減らされていく。別に人が辞めたからと言っ

          32歳に非情な試練、リーマンショック。

          採用地獄でみた、31歳の哀愁。

          この頃、ビジネスの拡大と組織拡大が大きなミッションでした。毎日何回も採用面接を実施し、仕事の半分は採用!という日々を過ごしました。 公私ともに立ち上がりがいまいちなワタクシは、この頃からようやく”People Manager”という立場を自覚し始めていました(遅ぇ)。今もまだまだ勉強中ですが、組織の中でビジネスをリードするというだけはなく、誰かのキャリアや人生に関わる立場として毎日毎日毎日悩んでいました。 30代後半からはなんとなーく自分なりの答えを見出したのですが、この頃

          採用地獄でみた、31歳の哀愁。

          本社チームを任された30歳。イキる。

          思い出すだけで恥ずかしい。完全にイキってたしオラってた。 偉そうというか、自信満々というか、、いやいや!それは虚勢だったのだ!とも言えるけれど、自分でも本当はどっちなのかわからん。 宮崎とは違い、関東は最強の採用マーケットなので経験者の採用が普通にできるし、そもそも人材を選べる、何より会社自体のブランドが強い(採用はここがかなり大事)つまり強いチームが作りやすい。そんな恵まれた環境だということも理解せず、成果を上げている自分を凄いマネージャーだと勘違いしてたのだ。超絶恥ずか

          本社チームを任された30歳。イキる。

          半年で降格した29歳。スネる。

          宮崎から強制帰還した私を待っていたのは、インサイドセールスのメンバーとしてのポジション。そう、改めていうと降格であります。 いわゆるTHE MODELが提唱される前のインサイドセールスの仕組みなので、朝から晩まで電話やメール、外勤営業を操って案件の発掘から提案、見積、受注、納期管理、請求、回収、クレームまでなんでもこなす。別にこの仕事は嫌いじゃないしむしろ好き。ただし、一度管理職になった人間がメンバーの仕事をするというのは、いろいろ葛藤があるものだ。今思えばどうでもいい話なの

          半年で降格した29歳。スネる。

          ビジネスの洗礼。29歳で向き合った現実。

          宮崎へ一人旅立った私。 ここは人もいい、陽気もいい、食べ物もうまい、お酒もうまい、自然もたくさんあるし、最高の場所だーーー。 なんてことは一切考えられない地獄の日々が始まった。現実は残酷だ。 現地採用のピヨピヨ社員が何十人もいる ほぼ全員が異業種からの転職でITを知らない のんびりした性格のメンバーが多く、何もかも遅い 上司との相性が最悪 常時10名ほどのピヨピヨメンバーを抱えるチーム運営の日々。9時からCallが鳴るので8:30くらいからは準備して朝礼、一日のス

          ビジネスの洗礼。29歳で向き合った現実。