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narukuni
panda_116:放下着
禅語の「放下着」(ほうげじゃく)に関して、以下のような話があります。
ある時、趙州和尚(じょうしゅうおしょう)のもとに、一人の修行僧が訪ねてきて、和尚に問いかけた。
「私は長い修行を通して、煩悩・妄想をすべて捨てることができました。高みに到達することができた今、これから先はどのように修行するのがいいでしょうか」
そこで趙州和尚は「放下着」と答えました。
修行僧は意味がわからず、「もう捨てるものはありません。これ以上、なにを捨てろというのですか」と言いました。
すると、趙州和尚は「捨てることができないのなら、自我をかついで去れ」と言い放ちました。
修行僧の「自分のすべてを捨て去ることができたさまを見てくれ!」といわんばかりの態度に対して、趙州は、その自我すらも捨ててしまえとばかりに、「放下著」と一喝したということです。
何もかもを捨て去ってしまえ、という教えには深く沁み入るものがある。自分はまだまだあらゆるものに「執着」していると感じることが多い。いかに「執着」を捨てられるか。善く生きるために、様々な「執着」を少しずつでも捨てていきたいものだ。