福山駅前の再生にみる都市開発の難しさ🚅
瀬戸内海エリアのちょうど中央。その昔、坂本龍馬の海援隊が大洲藩から借りた西洋式の蒸気船「いろは丸」が、紀州和歌山藩の船「明光丸」と衝突し沈没した「いろは丸事件」が笠岡市沖の備讃瀬戸で勃発した。
十数年前まではその現場近くを通って、香川県多度津港と福山港を結ぶ“福山・多度津フェリー”航路があったことを知る人も減っている。
鞆の浦は古い日本の港町の風情が現代に残る数少ない天然の良港。20世紀初頭には「日本二十五勝」の海岸の部の景勝地であるとして、高松市の屋島、福井県の若狭高浜とともに選ばれし景勝地となっている。
最近では宮崎駿監督映画の構想を練った場所としても有名だ。香川県でも西讃地方の対岸にあることで、意外な程に昔から交易が深く行われていた広島県福山市である。
人口は約46万人。高松市と大差がないが、こちらは旧日本鋼管を柱とした企業城下町の性格を持つ。広島県内では広島市に次いで人口が多く、“備後地方”という名前が示すように、岡山県とも古くから繋がりが深い広島県東部の中心都市だ。
福山市を発祥とする流通業者と言えば古くは洋服の青山
最近では「ハローズ」「エブリイ」「ププレひまわり」などの、県を跨いで広域に展開する積極的な経営思想を持つ流通会社を生み出している。また企業間物流では最大手の「福山通運」といった全国型企業が活躍する。
こうした経済活動の活発さが目立ち、約50万人もの人口を抱える都市でありながら、鉄道系の交通機関はJRしかなく“新幹線のぞみ停車駅”が特徴。地域全般にはバス交通が主となる都市構造。
ところがこの市内に路線網を持つ中国バスと井笠鉄道バスが、相次いで経営不振に陥りお隣の岡山県の両備バスの傘下となるなど、クルマ文化の進展が他の同規模の都市以上に進んでしまった。
結果として「のぞみ停車駅」JR福山駅前が核となって発展してきた地域の商業核が次第に崩れてしまった。いや、商業のトレンドにも乗り遅れてしまい、相次いで大型店が撤退をしてしまい、街の顔が失われていった。
駅前には天満屋百貨店を中心にダイエー、ニチイ、イズミ
といった名だたる大型量販店が軒を連ねていた。しかし次第に郊外に車対応のスーパーや専門店が出店。バブル崩壊とともに、駅前に誕生した巨艦店「福山そごう」で、一時は駅前に人が戻りかけたかに見えたが、8年後、その象徴的な出来事として、「福山そごう」が撤退し、後継テナントへ岡山の天満屋による専門店型店舗「福山ロッツ」の誕生というニュース。現在ではその天満屋も撤退し、新たに公共施設を取り入れた「RiM—f」(リムふくやま)として営業していたがこれも難しくなってしまった。
相前後してダイエー、ニチイも撤退。最期まで頑張っていたイズミが撤退した跡は「キャスパ専門店街」としファッション関連の専門店ビルで福山を代表する商業核となっていた。
再開発案件に積極的な穴吹興産
だがこれも2012年に閉店した後は空きビルとなっていた。地元バス会社の鞆鉄道と流通業でメインテナントでった広島のイズミが共同で所有していたが、イズミの持ち分を高松市の穴吹興産が買い取ったことで動きが出始めた。
共同オーナーである鞆鉄道とも協議して利用の方向性を出したいとの意向を表明。福山商工会議所会頭でもある林鞆鉄道会長は、キャスパ再生に向けた基本構想案を提示したのである。
福山駅前には2011年に民間主導の再開発ビル「アイネスフクヤマ」がオープンしたが、衰退の流れは変わっていないのである。
キャスパとは駅前広場を挟んだ反対側に繊維問屋街が広がっている。ここも大型複合ビルを建設する再開発計画が進んでいた場所である。隣接する天満屋百貨店をキーテナントにマンションやホテルなどが入る超高層ビルが青写真にあった。
だが30年近く再開発計画を担ってきた準備組合が既に解散した。大型店主導の再開発の限界が露呈したのだ。
まるで袋小路に入った感のある福山駅前。せっかく駅前にある福山城も生かし切れていない。これまでとは全く発想を変えて、人間目線に建ったエリアマネジメントが出来るか
先日はキャスパと隣接するホテルの買収も明らかになった
穴吹興産は、駅前のひと区画をまるごと開発する施設計画でのぞんでいて、北口の整備共々、地方中核都市の再生を固唾を持って市民達は待ち望んでいる。
政令市よりも小さな街の都心や駅前の活性化はこの時代にたいへん難しくなり、浜松市などもそうだが紆余曲折を経て、規模を縮小しての開発に落ち着くことが多くなった。
共通しているのは郊外型の大型店が商業の中心となってしまった後には、都心の再生は非常に難しいということである。