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近いはずの人 小野寺史宣

以前「ひと」という小野寺さんの小説を読んで
「人生の理不尽にそっと寄り添い、じんわり心にしみ渡る。」
と本の帯に書かれていたこと通りに感動したので、
別の本を手に取ってみました。

~内容紹介~
死に別れた妻の本当の姿を探す物語。

突然、交通事故で妻が死んだ。
わずかな繋がりを求め、妻の携帯電話のロックを解こうと「0000」から打ち込みはじめる夫 俊英。
しかし、ついに解いて知ったのは、事故当日に妻と“8”という男が交わしたメール。
”8”とは誰か? 妻とはどういう関係だったのだろうか。
妻の姉や友人に会い、彼女の足跡を辿るうち、怒りや哀しみとは別の感情が頭をもたげ――。
残された夫は再起できるのか。感動が胸を満たす物語。

私は、これを読みながら、色んな事実を知って、湧き上がってくる感情を主人公が消化していく様を、痛々しいと感じながら読み進めました。
正直、ストーリーだけ読むと、どんよりな暗い気持ちになります。
「ひと」を読んだときのような、じんわりと心にしみ渡るような感動はなかったです。

ただ、これはただ重い気持ちになるだけの、そんな小説ではないと思いました。多分、多くの読者さんが消化不良な感じが残る読後感になるのではないかと思ってます。

夫婦で、”近いはずの人”。小野寺さんが、この小説でえがきたかったのは、何か夫婦の間で予期せぬ良くないことが起こって衝突しても、「所詮、夫婦は他人」とは割り切らずに、”他者理解”をあきらめずに向き合うべきだということかと思います。
相手に見限られた、と思われてしまったら、少しづつ心は閉ざされていき、近いはずの人がどんどん遠くなっていくのではないかと。

この小説は、残された夫の再起ストーリーとして読むのではなく、読み進めていく上で自分自身から色々と湧き上がってくる想いに着目するような読み方をすると良いのではないかと思います。
読み手にとってはフィクションではあるけれど、自然に自分ごととして没入していき、主人公に湧き上がる思いを体感することができます。

私は”気が合うから”とか、”一緒にいて楽しいから”ということで夫婦になったのではなく、お互いが違いを認め合って人生を歩んでいけるから結婚して、それでずっとうまくやっています。
と、考えて生きています。
この小説を読むと、”他者理解”って、深いなぁと感じました。

学生間、家庭間、夫婦間、日常生活や社会生活で、何か歯車がかみ合わないなあと、そう感じることはあっても、「所詮は他人」なんて思わずに、少しづつでもよいから、何でかみ合わないんだろう、と考えてみて!
という気持ちを後押ししてくれるような小説にもなるのかなとも思ってます。
是非、手に取ってみてくださいませ^^

#小野寺史宣

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