わたしのきほん6/100
【脱】他律
結婚するときに
どんな家庭をつくりたいとか
どんな関係でいたいとかを
話し合う機会があって。
「自律した関係でいたい」
ってパパ氏はわたしに言った。
わたしの母は昔から
「ふなこも食べると思って買ってきた」
と言って何かを買ってきていた。
子どもの頃は何も思わなかった。
むしろ母の優しさだと思っていたから
喜んで食べていた。
ふわふわで白かったり、チーズだったり。
大人になり
体型や食べるものを気にしだし
「ありがとう、ごめん、食べないや」
と伝える機会が増えてきた。
(ここまでに長い時間がかかっているけれど割愛)
母の言葉は
「ふなこが食べると思って買ってきたのに」
に変わった。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
でも、何だか違う気がしていた。
母のそれも
わたしの申し訳なさも
何だか違う気がしていた。
(自己肯定感に溢れたTHE自分軸男のパパ氏と出会っていたから)
わたしは生き方も体型も、変わりたい。
(もちろんパパ氏に釣り合う女になりたいから・・・)
そして
母と自分の生き方、思考に染みついた
他律/他人軸 にハッキリと気づいた。
他人からの命令・強制で仕方なく動いている他律ではなく
他人への勝手な想いや期待により動いてしまう他律
こっちの方がタチが悪いぞ、と。
思えばそうやって失敗してきたんだ、
過去の恋愛は。
当時は“依存しない女”みたいな自己啓発本で
なんとかパパ氏に釣り合う女になりたくてもがいていたけれど(内緒)
原因がハッキリとわかった。
自己肯定感の低さからくる
ふなこ的解釈の他律(他人軸)
【脱】他律
だから
自分の好きなケーキを選ぶということを
意識して行うリハビリが
今も必要なわけです。
↑はじめて貼っつけてみました。
よしよし、こうやって使うのね、って
日々少ーしずつですが
noteの街での暮らし方
覚えてきました。
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