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【美術モデルの週報】イタリア帰りのおしゃべり好きなおじさん

その日、現場は彫刻家の個人アトリエだった。
彼とは別のデッサン会で知り合い、「ぜひ個人制作のモデルも」ということでリクエストをもらったのだ。

当日は最寄りの駅まで車で迎えにきてくれた。約束の時間に、シルバーの軽自動車に乗って現れた。車体はすこしだけ砂っぽくなっており、彫刻のアトリエから出てきた道具のひとつに見えた。

「今は小さな石ばっかりやってるから、車も狭いやつに変えちゃって。ごめんなさいね」

そう言いながら、彼は助手席に座るよう私を促した。助手席に乗ってはじめて、うしろで髪を結んでいるのに気づいた。おでこに引っ張られ気味の後ろ髪と、白い口髭。まるで武士のような人だ。

彼は、彫刻の中でも石を主材料とする「石彫」の作家だ。
今は「具象」と言われる人体像を制作しているが、つい数年前までは「抽象」を制作していた。彼いわく、「抽象」とは「循環」とか「芽生え」といった概念的なモチーフのことを指すらしい。その作品集を見せてもらったが、地球儀のように球体と輪っかが組み合わさったようなものや、糸くずがからまったように見える不思議な形が多かった。作品のタイトルを頼りに咀嚼していくような作品だった。

車に乗り込むと、「なぜこの車が小さいか」の理由にはじまり、若い頃には彫刻を学ぶためにイタリアの各地を転々としていたことを、ほとんど息継ぎする間もなく彼は教えてくれた。

しかし彼の話には60~70代の男性によく見られる虚栄心や自慢の気が一切見られない。イタリアの歴史や友人との会話、日本と異なる彫刻界隈の様子がまるで小説のように精緻に盛り込まれているので聞き飽きないのだ。だからマシンガンというより、次から次へと水が溢れ出てくる泉のような印象を受ける。
そのぶん車の運転はなおざり気味で、急にアクセルを踏み込んだり、ブレーキが波打ったりするものだから、私はシートベルトをぎゅっと掴みながら、タイミングを見計らって時おり質問をした。

「先生は、このあたりの出身なんですか?」

「え!?」

「ご出身は〇〇ですか?」

「ああ、そうそう。うちの実家があってね。今日のアトリエも両親が住んでたところなんだよ。兄弟は皆いらないって言うから、高い固定資産税を払いながら僕が――」

私の声が聞き取りにくいのか、周波数が異なるのか、彼は私の質問に必ず「え!?」と驚いたように聞き返してくる。年の離れた人にそうされると、両者の間にある壁がやはり途方もないものであるのを痛感してしまって切なくなる。仕方のないことだからこそ、余計に。

それから間もなくして、ごく一般的な戸建て住宅の前に車は止まった。
前に祖母が住んでいた家を思い出させる、昭和の家だった。玄関ドアの前には、昔の作品とおぼしき不思議な石がゴロゴロと転がっている。

ドアを開けると、そこは完全なアトリエと化していた。家をアトリエにしたのではなく、アトリエの上から無理やり「家」を被せたような空間だった。何かがはちきれそうなのだ。廊下は両脇を制作道具やつくりかけの作品でがっちりと固められ、人ひとりがかろうじて通れるスペースしかない。

「うち、トイレを画集置き場にしちゃってて。もし行きたくなったら少し歩いたところにあるから、言ってください」

なんと、トイレまでぶち壊してしまったらしい。それどころか、風呂も台所も作品置き場や画集の本棚に変わったという。彼は前を向いたまま「ちょっと、ごちゃごちゃしてる」と言い、他にもぶつぶつ何かを説明しながらゆっくりと居間へ進んでいった。その様子を見るに、この家に人を招くことに特段の恥じらいやためらいは感じていないらしい。モデルとしてはそれくらい適当な方がありがたい。変にもてなされたり、女性として扱われたりする方がかえって怖かったりもする。それにアトリエという箱自体、清潔・整理整頓からは遠いところにあるものだ。床に粘土や絵の具が散り、キャンバスやイーゼルが雑多に置かれているほうが「生きている」印象を受ける。何かが生まれる予感がするカオスは私の大好物だ。

居間に入ってすぐ、中央に置かれた女性の胴体部分(トルソー)を見て思わずニヤリとしてしまった。私にそっくりだったのだ。控えめな胸に細身の胴体。腰はやや大きく、へそを中心に贅肉がO字を描いてやわらかく突き出ている。自分のを含め、女性のパーツの中で最も好きなのが、このトルソーだ。彼がそれを抽出して作品にしようとするのは、上から目線にはなるが「わかるなあ」と思う。

「これまでアルゼンチンのモデルさんに頼んでいたんだけど、どうも都合があわなくて。でも来週までに納品しないといけない。この前のデッサン会で差詰さんを見てから、彼女とそっくりだと思ってお願いしたんだよ」

と、彼は制作途中のトルソーに微笑みかけるように言った。仲間を見つけた喜びのようなものが、互いにあったかもしれない。自分の胴体と似た人がいるのは不思議な感覚だった。

壁には、彼が留学時代に描いたらしいヴェネツィアの風景やイタリア人裸婦の絵画がかけられていた。どれも日本では出せない鮮やかさと空気感を放っており、見ているだけで海外のスーパーに来たような気分になった。

アトリエ内で唯一扉のある場所へ案内され、いそいで服を脱ぐ。そこもまた、ほとんど足の踏み場がないほど作品や設計図やらで埋め尽くされていた。

ポーズは左足重心の立ちポーズ。右足のかかとに薄手のクッションを入れ、右手には長い棒の上のほうを持つというものだった。自分の筋肉だけで足や手を上げようとすると、かなり疲労する。クッションや棒に体重をかけられるのは、とてもありがたいのだ。

そしてデッサンははじまった。するとまあ、先生のよく喋ること。

「イタリアは工房に職人がたくさんいてね。作家は手を動かさないで、指示をするだけなの。彫るのは職人の仕事。作家が自分でやろうとすると、工房を追い出されるんだよ。『俺たちの仕事を奪うな!』ってね」

「イタリアって、旧貴族のプライドがまだ高くてね。僕も昔、なぜか貴族の血筋のガールフレンドと付き合えた時があるんだけど、自慢ばかりされて参っちゃったよ」

こんなに話している最中でも、彼は絶対に手を止めない。究極のマルチタスクだ。黙っているのも申し訳なく感じられるほどだったので、ついに私もポーズをとりながら質問をしてしまう。

「どうして、彼女は先生のことを好きになったんですかね?」

「なぜか」付き合えたと強調して言うので、思わず聞いてしまったのだ。(こう見えて)先生も由緒正しい血筋なのかしら、とどきどきしながら。

「それがね、『エンペラーのいる国の男の子だから』だってさ! 要するに、天皇のことだよね。ほんとは皇帝じゃないんだけど、英語だとエンペラーになるでしょ。共和国だったイタリアの貴族は、どれだけ頑張っても『国王』にしかなれないの。見栄っ張りだからこそ、エンペラーのいる日本から来た男と付き合おうと思ったみたいだったよ。彼女は僕自身に惹かれたわけじゃない。ばかばかしいよね(笑)」

何十年も前の身も蓋もない話を、素っ裸で聞いてしまったりもした。

2ポーズ目から、彼はイタリアで有名だというポップソングのアルバムを流した。歌い手は留学していた当時に大流行していた「国民的シンガーソングライター」らしいのだが、名前は一度聞いただけでは覚えられなかった。作詞・作曲をすべて自分で手がけているらしい。どの曲も、観客が大声で一緒に歌っている。

「要するに、日本でいうと福山雅治みたいな人だよね」

この「要するに、」というのは彼の口癖だった。何かを聞くと、たいてい「要するに、」から喋り出す。「そうして何かをかいつまんで伝えてくれる彼の頭の中には、いったい何が渦巻いているのだろう?何を省略しているのだろう?」とよく思う。

3ポーズ目が終了した後、めずらしいことに20分間のティータイムが開かれた。休憩時間にお茶を出してくれるところは滅多にない。これほどイタリアのことを愛している人だから、てっきりエスプレッソが出てくるかと思いきや、普通の緑茶だった。それでもあたたかいお茶はありがたい。冷えた体が一気にあたたまる。

お茶を飲みながら、なぜかアトリエから大きなアルバムを取り出してきた。留学当時の写真を見せながら、友人の話や現地の様子を教えてくれたのだ。

「でもここにいる人、みんなもう亡くなちゃった。だからアルバムを見ると悲しくなってだめなんだよ」

と急に悲しい顔をするので驚いた。ではなぜアルバムを常に見返せる場所においてあるのだろう、と思ったが、それも私に自己紹介をするためだったのかもしれない。傷をえぐりながらでも。

結局、最後まで彼は興味深い話をたくさんしてくれた。もっと深掘りしたいことは山ほどあったけれど、大縄跳びに入るタイミングを失った小学生みたいに、ずっと機会をうかがっているだけで終わってしまった。

「ごめんね、ずっと喋っててうるさかったでしょ。友達にも言われるんだよ、『頼むから黙っといてくれ』って」

全ポーズが終了した後、彼はそう言った。
こちらが質問をする前に、彼からその理由を教えてくれた。

「イタリア人ってものすごくおしゃべりなのよ。黙ってたら、具合が悪いのかと本気で心配されるわけ。だから無理してでも喋るようにしてたら、帰国してもしゃべり癖がついちゃった。本当は口数少ないタイプだったんだけどね」

彼のおしゃべり好きは、後天的なものだった。こうなるまでに、どれほど頑張ってきたのだろう。きっと想像を絶するものだが、彼の場合はそれさえ夢中になってここまでやってきたのかもしれない。

「彫刻家はね、60歳を超えてからが一人前だって言われてる。体力が落ちて、体が自由に動かなくなってからのほうが、案外良い作品が作れるんだよね」

帰りの車内で、彼は言った。

いますぐにでも執筆で生計を立てていきたいと思っている私にとっては、気の遠くなる数字だ。それでも当の本人は、「ついに自分の番が回ってきた」とでも言うかのように、いきいきしているように見える。作家としてしぶとく生きてきた彼に、尊敬の念を抱かざるを得なかった。

*毎週火曜日18時に、美術モデルのお仕事のあれこれを発信しています。お仕事のこと、デッサン会場の雰囲気を、モデル側の視点から書いてまいりますので、よろしければフォローしてください。

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差詰レオニー
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