もっとたくさんの本を読みたい、けど
今さら気づいた。世の中には、無数の本がある。
googleの調べによると2010年当時、世界で出版されていた本の総数はおよそ1.2億冊だったという。かなり古いデータではあるが、ちょうど現在の日本の人口と同じだ。新生児から高齢者まで、どんな孤島・山奥に住んでいる人にも全員1冊ずつ持ち歩けるくらいの本がこの世界にはあるらしい。それも10年前のことだから、当然いまはもっと増えているはずだ。ちなみに令和元年には国内で7.2万冊もの本が出版されている。こうなってくると、いよいよ追いつけない。
計算してみた。仮に私が80歳まで生きるとして、残りの54年間を毎日1冊必ず読書することにしよう。しかも毎日必ず読み終える・死ぬ当日にもちゃんと本を読み終えるという超スパルタ設定にした場合、その時が訪れるまでに私はあと何冊本を読めるだろう。
ぽちぽちと計算機をたたくと、19,710だった。
2万冊も読めない。いや、2万冊弱は読めると言うべきか。
とはいえ、死ぬまで毎日1冊読書、というのはほとんど不可能に等しい。体調不良で寝込む日もあるだろうし、死ぬ当日まで読書ができるほど健康でいられるかなんて全く自信がない。手に取った本があまりに難解で、1日のうちに読み終えられないことだって考えられる。そもそも、本を読む気分になれない日だって私の場合はしょっちゅうある。すると高く見積もっても、生涯の読書量は一万冊読めたら万々歳といったところだろうか。
だからどう頑張っても、生きているうちにこの世の全ての本を読むことはできない。そう考えると、なぜか絶望的な気分になってくる。これから読みたくなるかもしれない本がたくさんあるのに、その全てに触れるには限りなく不可能に近いことが最初から確定している。何かに役立てるためだけに本を読んでいるわけじゃないけど、やっぱりもったいない気がする。
最近は、片っ端から小説を乱読するのにハマっている。本屋に吸い込まれると、お金もないのに必ず何かをレジへ持っていってしまうし、ネットやSNSで見かけてブックマークをしている本もたくさんある。「読みたい本リスト」は常に5冊以上あり、読書欲にはキリがない。ありがたいことに、読みたい本がありすぎる。
それなのに、なかなか読み進められない。積読本は積まれたまま、どんどん高くなっていく。自分が遅読家だからというのもあるけれど、段落を飛ばして読むような速読は好きじゃない。隅の隅まで読んで、しっかりと味わいたい。考えたりメモをしながら、ゆっくり読みたい。そんなわけで、読書は私にとってかなりのエネルギーを使う。脳や体が疲れていると、とてもじゃないが本を読む気になれないし、元気であってもなんとなく気分が乗らないこともある。そして安易にスマホを開き、数時間を溶かす……。
ということで、まずは環境を整えてみる。
自分の中で「今だ!」となったときはいつでも本を開けるように、外出先では常時3冊ほど持ち歩くようにしている。家の机やソファの近くには常時何冊かを積読。手を伸ばせばすぐに本を読めるように。それなのに、肝心の「その時」が来ない。全く読めないのだ。全然進まないし、読み終わらない。読みたい本だけは一丁前にどんどん積もっていく一方で、ストレスを感じている。読みたいのに読めない自分が情けない。
スマホを見る時間を丸々読書に代えられたら、どれほどいいか。読書もそうとう捗るに違いない。この夏は多少自分に負荷をかけてでもスマホの時間を読書に変えたほうがいいかもしれない。