広島帰省だより④ 「人生ゲーム」の場外暴走中
先週、広島に帰省していたのでその忘備録を書いております。
day3はマツダスタジアムでカープの試合観戦。見事勝利しました。その回はこちら。
書き忘れていたのですが、カープを見に行った日のJSPORTS(ネットの有料配信)を確認すると、しばらくの間写ってました……! 祝、ネット配信デビュー。そういえば、しばらくの間カメラマンが我々の横でずっと写してました。視線をカメラに向けないように我慢するので精一杯で、この間のゲームの内容は全く覚えてない。こういうときにカメラを向くのは、なんだかダサいと思ってしまうのです。バカでかい自我。
翌日となるday4は昼まで寝て、キャッチボールと人生ゲームを楽しみます。
かなりの酒を飲み、翌日のday4は昼過ぎまで睡眠。
帰省すると生活リズムが狂いがち。1日のスタートがデフォルトで正午になります。なんで?
重い体を引きずるように1階のリビングへ降り、しばらくの間ぼーっとテレビを見る。シャキッとするためにシャワーを浴びた。
この日は弟たちがキャッチボールをするというので、近所のホームセンターでビニール製の手頃なグローブと軟式ボールを購入するところからスタート。
体が重くて正直球を投げる気などならなかったが、頑張って動かすことに。近所に大きな公園があり、そこへ向かう。
小さい頃に父親から色々教えてもらったせいか、なぜかキャッチボールだけはできる。球をキャッチする瞬間は怖くて目を瞑ってしまうのだが、投げることもある程度できるのが私の小さな自慢。私が人並みにできる唯一のスポーツと言っても良いかもしれない。
前にインタビューした人が、「キャッチボールするとリラックスできる」と言っていた。その気持ちもなんとなくわかる気がする。
キャッチボールは相手と距離が離れているから、会話をする必要はない。ただ無心になって球を目で追い続ければいい。グローブの真ん中で球をキャッチすると、「スコッ」という乾いた音が鳴る。それが気持ちよくて、その音をまた聞きたいがために、無心で球をやりとりしている。
この日の公園は休日の夕方ということもあり、小学生くらいの子どもがサッカーをしたりキャッチボールをしたり自転車の練習をしていたりと、思い思いに体を動かしていた。飛んできたサッカーボールにカッコをつけて蹴りかえしてみたかったが、ビーチサンダルで来てしまい憚られる。
サッカーボールを手で掴んでいいかわからなかったので、その場で立ち尽くしたままオロオロしていると、あっという間にボールが私の前を通り過ぎていった。そして公園の隅の方まで持ち主の子どもが走りに行く。
それを見ていた弟から、「いや、取ってあげろや笑」と言われた。いやビーサンだったから、とか、ボールって手で掴んでいいの?とかの言い訳をブツブツ言いながら、キャッチボール再開。
しかし何往復かすると飽きてくるので、早々にやめて今度は地元のショッピングセンターへ行くことにした。ここのおもちゃ屋さんで人生ゲームを買い、今晩はみんなで人生ゲームをしながら夜を明かそうということになった。
人生ゲームは言ってみれば人生すごろく。
ボードの中心にあるルーレットを回し、出た数字分だけ、自分の駒(車の形をしている)を進められる。
その道中では、学校の先生に褒められてお小遣いをもらえたり、職について給料をもらえたり、家を買ったり結婚したりと、ひととおりのライフイベントが用意されている。ゴールしたときに1番お金を持っている人が勝ち。ほんわかしているように見えて、ゴリゴリ資本主義のゲームだ。
人生ゲームをするのは小学生の頃、いとこと遊んだきり。かなり久しぶりだった。
幼い頃はこの人生ゲームのボードが、広い広い地図に見えた。
架空のなんちゃって紙幣で給料を支払われ、それを使って自分の裁量で株を買うことも家を買うこともできる。
どこでも行けるし、なんでも自由に選べるように思えた。いつか自分もこのすごろくのように、順当に社会に出て、立派な仕事につき、家を買い、株を買い、家族ができたり旅行をしたりして、ふつうの人生を歩むものだと思っていた。
しかし、その「ふつうの人生」がどれほど難しいことか……。あの頃は知る由もなかった。
自分の意思と、抗いがたい世の「かくあるべし」がぶつかりまくった結果、26歳になった私のリアルな人生は今、このボードの外を「自称・作家」という車に乗って暴走しまくっている。場外プレイだ。人生ゲームの職業カードに、「ライター」や「作家」はなかった。
だからか、大人になって広げた人生ゲームのボードは、子どもの頃に見たそれより、うんと狭くなっているように感じた。
ところで、今回買った新しい人生ゲームはかなりバージョンアップされていた。
結婚の場面では、「結婚」という言葉こそまだ使われているものの、夫婦ではなく「パートナー」表記にされていたし、結婚できるかどうかはルーレットで自動的に決まる仕組みになっていた。偶数が出れば結婚できるが、そうでなければゴールまでずっと独身。結婚は必ずすべきものではなく、あくまで運ゲーであることを見事に表していた。他には動画クリエイターなどの新しい職業、「リモート会議で場が和んだ」などといった現代的な「日常」が加わっていた。
個人的にはネガティブな出来事が減っているような気もした。昔は離婚する・死別する・家が燃えるといった生々しい事件がマスに組み込まれていた気がするのだが、今はそれがほとんどない。あったとしても「突風が吹いて、持っている株券が全部吹っ飛ぶ」くらいだった(株券はデジタルじゃなんかい!)。
調べてみるとこんな記事に辿り着いた。
やはり、人生ゲーム側も現代の価値観にあわせて細かくアップデートされているようだ。
結局この日は2セット遊んだのだが、いずれも私の勝ち。
株を大量購入していたおかげで、最後にたっぷり換金された。
ということは、リアル人生もそんなふうになるって思っていいですかね?
大人になってからやる人生ゲーム、どんな人でもきっと感慨深くなると思う。「いやいや、そんな単純じゃないよ、リアル人生は」という冷めた感情と、「人生は運ゲー!イージー!!!」という、根拠のない希望が交互にやってくる。
子どもはこれからの人生に想像を膨らませ、大人はこれまでの人生に思いを馳せる。楽しむベクトルが真逆なのが、この人生ゲームの良さであり、面白いところだ。
day5となる次回は、近所で頑張っている古いショッピングセンター内の絶品抹茶アイスクリームと、おうち焼肉を楽しむ話を書きます。また読みにきてね。