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【講座】ベートーヴェンの修業時代から学ぶ!ボン時代編

「楽聖」とまで呼ばれるベートーヴェンは、若年時に一体どのような教育を受けていたのか?

音楽家にとって若い時に受ける教育はまさに運命を分けるものですが、この興味ぶかいテーマについて考察する講座の第2回目です。今回は、ベートーヴェンが生まれ故郷のボンで受けた教育について。

この講座の目的、およびバックグラウンドについては第1回目をご覧ください。

なお、この講座で学んだ内容を自分でテスト・チェックしながら、深堀り解説やYouTubeなどで補足していく「学習ノート」はこちらです(今回は長くなるので、効率的に教材を活用して頂くために、ページを分けます)。

それでは、始めましょう。ベートーヴェンは生まれ故郷でどのような訓練を施されて、楽聖へと羽ばたく基礎をつくったのでしょうか?


2:ボン時代の恩師ネーフェによる教育

2-1: ネーフェについて

ベートーヴェンのボン時代、すなわち生まれてから21歳までの間で、もっとも重要で、自他ともに「恩師」と呼べる先生はクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ(1747~98)です。

ベートーヴェンの師匠ということ以外では注目すべき業績はありませんが、当時おもにオペラ界の作曲家・指揮者として活躍していました。

ネーフェは、あの大バッハ(ヨハン・セバスティアン・バッハ)の次男カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(1714~88)にも師事したことがあり、本物の音楽とは何かをよく分かっていた人物でした。のみならず人格的にも優れていましたから、ベートーヴェン少年がボンでえられる最高の先生であったことに間違いありません。

家庭環境に恵まれなかった、しかし才能あふれる少年にネーフェが授けた訓練とはどのようなものだったのでしょうか。

それは、もしかしたら大バッハが息子に授け、その息子がネーフェに授けたということで、大バッハ直伝だった可能性もありますから、我々としては非常に興味がわきますね。

ネーフェの肖像

<補足:大バッハの息子たち>
いずれ必ず取り上げなければならないトピックですが、日本で「音楽の父」と呼ばれるヨハン・セバスチャン・バッハ(大バッハ/1685~1750)の一族は音楽家の家系で、大バッハの息子たちも実は音楽史で重要とされます。

大バッハの子供のうち、ここで出てきた次男 C. P. E バッハのほかに3人息子が作曲家になりました。最低限覚えるべきは、次男(息子の中でいちばん重要で、才能もあった)、およびモーツァルトとも親交のあった末っ子のヨハン・クリスチャン・バッハ(1735~82)の二人です。

学習ノート(別ページ)に手短にまとめておきますので、参照して下さい。

ネーフェの師匠であるC. P. E. バッハ。大バッハの次男坊。音楽好きのフリードリヒ大王に仕え、最晩年の父親を大王に引き合わせ「音楽の捧げもの」(最初と最後から同時に歌う曲など、信じられないほど高度な作曲技術が詰まった曲集)を作曲するきっかけを作ったことでも有名。

2-2: 当時の雑誌に取材されたベートーヴェン少年

ベートーヴェンは10歳のころにネーフェに弟子入り。ミサにおけるオルガン演奏などアシスタントを務めながら、楽器の奏法のみならず作曲法もふくめた本格的なレッスンを受けました。

幸いなことに、ネーフェが授けたレッスンについては確たる記録が残っており、その一部を伺い知ることができます。

1783年3月2日付の『音楽雑誌』(カール・フリードリヒ・クラーマー編集/ただし、チェルニーとハノンの記事にも登場する、優れた練習曲で有名なあのクラーマーとは別人です)に掲載された「ケルン選帝侯国の音楽事情」という記事はその一例です。ここにベートーヴェン少年が登場しています。

<訂正とお詫び>
この雑誌を編集したのはピアノ練習曲で有名なヨハン・バプティスト・クラーマーとは別人のクラーマーなのですが、同人物と思い込んで最初はそのように記述していました。幸いすぐに気付いて公開から3時間ほどして記述を変更しました。誠に申し訳ございませんでした。

その記事を平野昭先生のご著書より引用しますが、文中、私が大事なポイントと思うところは太字にしています。

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