【NYレポート】ある若きメキシコ人音楽家にもらった笑顔
皆さん、こんにちは! 在米25年目、ニューヨークはハーレム在住の指揮者、伊藤玲阿奈(れおな)です。
こちらは遅咲きの八重桜が、いま丁度きれいに咲き誇っているところ。
ただアメリカでは学校が秋に始まるうえ、年中好きなときに就職するのが当然とされますから、桜の季節と年度のスタートを結びつける習慣はありません。
しかし日本で生まれ育った私にとっては違います。たとえ異国の地であろうと特別な感慨が湧いてくるものです。特に今年は日本を離れて早くも25年目。桜を見ては、まさに矢のごとく過ぎ去った日々をふり返ることが多々あります。
さて、今日はそんな思い出からひとつ、仕事にまつわるエピソードをお届けします。
一般の方には想像がしにくいであろう指揮者の仕事――それをひと言でいうなら、オーケストラやコーラスといった演奏家集団をリハーサルで鍛え、本番でお金を取れるレベルの演奏にすることです。指揮棒を動かすことも、奏者に口頭で指示を出すことも、すべてはこの目的に奉仕しています。
ただ私の場合、デビューから約10年ほど、自分のオーケストラと合唱を率いながら、カーネギーホールや教会などでコンサートをみずから企画していました。指揮者のみならず、プロデューサーも兼ねていたわけです。
ですから、音楽の質だけではなく、そのイベント自体を意義あるものにする視点がどうしても必要でした。クラシックをただ演奏するだけなら数百年前の音楽を陳列する博物館とさほど変わらず、競合する他の団体との差別化が図れません。そこで何かしらのテーマを毎回決めるようにしていました。
それは2016年5月に開催した、あるコンサートのことです。
テーマを「優秀な若手の発掘」と定めた私は、オーケストラの採用にあたって、世界的に有名なジュリアード音楽院の出身者をはじめ、NYの優秀な若手を揃えました。その中には国際コンクールで優勝した人も数名いて、NHKの取材が入ったほどです。
それはともかく、リハーサル初日を迎える数日前のこと、チェロとビオラに1人ずつキャンセルが出ました。コンサートに出られないと連絡してきたのです。おそらく私の楽団より支払いの良いオファーが舞い込んできたのでしょう。
こんなドタキャンは日本で考えられないかもしれませんが、生活コストが大変で少しでも稼がねばならないNYでは “あるある” で、事情を知る私としてもいちいち気にすることはありません。すぐに代わりの奏者を探し始めました。しかしながら、直前ということもあり、リハーサルと本番すべて出られる人をなかなか見つけられずにいました。
ヘクトルとミゲルという名の音楽家からメールをもらったのは、そんな折です。
そこでYouTubeに彼らの演奏があったのでチェックすると、今回求めているレベルとしては若干劣る印象でした。しかし、とても情熱が伝わってきたので採用することにしたのです。
実際にリハーサルが始まってみると、私の懸念は的中していました。アメリカでは平均的になされる訓練をおそらく母国で受けられなかったのでしょう、指揮者に合わせて演奏することに慣れておらず、頻繁にミスをしていました。
大事な場面で私の棒とズレてしまうといった具合で、指揮台からも違っているのが何度も聴こえたくらいです。周りで弾いている、ジュリアードなどから来た奏者たちが明らかに困惑した顔をしているのも分かりました。
それでも今さら他と代えようとは考えませんでした。才能がないのではなく、指揮に合わせて弾くのに慣れていないだけだったからです。私は、リハーサルが終わってから個別指導を施すことで、指揮の見方を基本から教えることにしました。
いってみればサービス残業ですが、「頭で思い描いている音楽をちゃんと実現する」という指揮者の矜持がありますので、背に腹は代えられません。そして見立て通り、その想いを強くもって接するうちに、もともと才能ある彼らは驚くほど変化していったのです。
本番はすべてが大成功でした。
お客さまへのご挨拶が終わるや否や、すぐにヘクトルとミゲルが駆け寄ってきました。ふたりとも感極まった表情です。「もしかしたらリハーサルでのミスを気にしているのかな?」と、頭に一瞬よぎったものの、それは思い過ごしでした。
開口一番、「こんな機会を与えてくれたうえに、給料までもらえるなんて夢のようだよ。レオナ、本当にありがとう! 一生忘れられない夜になったよ!」と叫んでくれたのです。
そして何度も何度も、くり返し "Thank You" を口にしてくれたものですから、顔の筋肉さえ硬直するほど疲労していたのに、私は自然と子供のような笑顔になりました。
実のところ、NYのプロミュージシャンは少々ドライなところがあって、日ごろオーケストラでやり慣れていたり、お金をもらって演奏するのが当たり前であるせいか、普段ここまでの反応を私に向けてはくれません。「お金をもっとくれるべきだ」と言ってはばからない猛者もいるくらいです(笑)
ゆえに、ヘクトルとミゲルの純真さには本当に胸をうたれました。これだけでも「今回はたらいて良かった!」と幸せな気分になれたのは、皆さんも容易にご想像がつくことでしょう。
ところがもっと素晴らしいことが待っていました。翌朝、ふたりが次のようなメッセージをくれたのです。
読んだ瞬間、人間がはたらくこと(=私にとっては音楽すること)の本質にふれた気がしました。
「人はパンのみにて生きるにあらず」とはいうものの、何ごとも時をかさねるにつれ、目に見えるものを得るためのルーティンに陥りがちです。けれどもテクニックの高さや数字の多さだけでは社会の発展は確約されません。
やはり根底にあるべきは理念や感謝といった目に見えないもので、それがあるからこそ心が突き動かされ、人は凄い力を発揮し、みんなが笑顔になれるのではないでしょうか。
私のケースなら、一定レベル以上の音楽をつくりあげる仕事とはいえ、自分の想いがふたりの若者をポジティブな理想へと突き動かしたことに大切な意味があったのです。だからこそ、指揮をすることが天職だと心の底から感じることができました。
それからしばらくの間、ずっと笑顔でいられたのは言うまでもありません。
桜のように美しいこの思い出は、ともすれば目先のことに惑わされてしまう私を支え、はたらくこと本来の喜びを呼び覚ましてくれています。それはこれから何年たっても、決して変わることはないでしょう。
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