「ウィーンの教育?だから何?」~ウィーン音楽院の恩師との思い出(中編)
皆さん、こんにちは! 在米27年目、ニューヨークはハーレム在住の指揮者、伊藤玲阿奈(れおな)です。
それでは、前編からの続きを始めましょう。
”基礎の基礎” の次に待っていたもの
小休憩のあと、待っていたのは楽理分析(日本でいうアナリーゼ)クラスでした。課題曲の指揮実習に入る前に、その曲をじっくり理論分析するのです。
アメリカの指揮科では、ふつう楽理分析については理論のクラスに任せられていて、先生との時間のほとんどはオーケストラまたはピアニストを指揮する実践の時間です。
ただ、スコア読みやオーケストレーションといった、指揮に直接的に関連する座学ならアメリカでもレッスンで重視されています。
「ここの部分はクラリネットにとって出しにくい音域で、しかもテクニックの難所だから注意」「ここで奏者は緊張するから変な動作をしてプレッシャーをかけるな」・・・といった具合。
しかし、純粋な楽理分析だけを(理論の教授ではなく)指揮科の教授が細かく教えることはありませんので、これには驚きました。
「第一主題は主調でここ、第二主題はここで属調だね。推移部後半はドッペルドミナント」「この動機がこのように展開されて、さらに終楽章のここと関連づけられる」・・・
このようなことをラヨヴィツ先生みずから講義されるわけです。その日はそれで終わったと記憶しています。
「指揮者たるもの指揮台に立つ前に完璧に楽曲をマスターせねばならない」
この信条じたいは別にウィーンやヨーロッパ特有のものでも何でもありません。
ただ、それを教育で徹底させて「楽曲を完璧にマスターしていない者は指揮台には立たせない」というのは、20世紀に強かった考え方です。現在では楽理やテクニックで未熟な点があろうが、なるべく指揮台に立たせて実践経験を積ませるのが主流。
ですからこの辺はさすが、伝統墨守のウィーンという感じがします。
「日本人はテクニックとコンクールばかり」
さて、その日の帰り道でのこと。
たまたま先生と方向が一緒で、2人きりになるタイミングがあったので、仲良くなりたかった私は思い切って感想を伝えることにしました。
「マエストロ、指揮の講習でここまで楽理を教えて頂けるとは素晴らしいことですね! このような経験は初めてです」
もちろん先生を喜ばそうとした言葉です。しかし次の瞬間、先生のテンションが爆上がり!
「これだから最近の指揮者はダメなんだ! その曲について全部知らないで指揮台に上がるとは音楽への冒涜だ (insulting music)!!」
ひえぇ~、スイッチを押してしまった・・・ どうしよう。困惑しているうちに先生はどんどんヒートアップ。
「今の音楽界は本当に間違っている! 君は日本人だね? あの習慣は何だね! ベートーヴェンの第九をあんなにたくさん演奏して」
どうやら我らが年末の風物詩をお気に召さない感じです。なので日本人としてフォローしようと、
「はい、日本人は第九が好きなもので需要があるのです。私も指揮したことがございます」
と答えたところ、「私も指揮した」アピールがまずかった。
「やっぱり君もか。若いうちに何も知らないのに第九を指揮するとはベートーヴェンへの冒涜だよ!」
「(ひえぇ~)はい、申し訳ありません。ただテクニックと経験は積むことができました」
ただ謝っておけばいいのに、どうしても余計なひと言を付け加えてしまう私。案の定、やかんが沸騰するようなテンションが続きます。
「君たち日本人は優秀だがテクニックとコンクールばかりの連中が多すぎる! 私の学校でたくさん見てきた。君はユアサを知っているか?」
「あ・・・い・・いいえ・・」
「彼もテクニックのことしか考えていない。しかしそれでは立派な指揮者が育たないんだ。それを理解できない。本当に愚か(fool)だ!!」
ユアサというのは、小澤征爾先生からの信頼も篤(あつ)かった有名な湯浅勇治先生で、ウィーン音楽院の指揮科で准教授をなさっていた方です。つまりは同僚だったはずなのに、凄まじい罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐・・・
実のところ、私は20代のころ湯浅先生にも短期集中講座で習ったことがあったのです。けれどこれでは正直に言えませんでした(笑)
両者ともに名教師、同じウィーン、かつ同じ学校であったにもかかわらず、教え方はたしかに違っていました。ラヨヴィツ先生は同僚に対して複雑な思いを抱いていたのかもしれません。
それでも、日本人がテクニック・コンクール偏重という批判はある面で当たっているにせよ、こと湯浅先生に関してはラヨヴィツ先生の嫉妬か偏見が入っていたと思います。
私が見たかぎり、湯浅先生はそんな次元の低い音楽家ではありません(ただし振る舞いは誤解されやすかったはずで、人によっては好き嫌いが激しく別れるでしょう)。
「アメリカ!? 論外だ!」
いずれにせよ、先生を讃えるつもりでお声をおかけしたのに逆に血圧を上げさせてしまった私。居たたまれない日本がらみの話題から逃げるため、
「日本で音楽の教育を受けていませんし、長いこと住んでもいないので、どうも私にはよく分かりません」
と逃げ口上を打ったところ、またもやドツボに。
「なに? 君はどこで教育を受けたのかね?」
「アメリカです。今もニューヨークで活動しています」
「アメリカ!? 君には悪いがあの国は論外だ (No way!)。科学と資本主義ばかり発達した国だ。まあ教育は良いのかもしれんが、芸術がマネーゲームになっている。冒涜だ!」
「いやぁ、そりゃそうですけど。。。あまりにも一面しか見ておられないのでは?」なんて怖くて言えるはずもなく(笑)
「はい、まさにその理由でここに参りました。マエストロからヨーロッパの伝統をきちんと学ぶことをお約束いたします」と、ウヤウヤしくお答えするのが精一杯。
仲良くなるどころか、「マネーゲーム好きのテクニック野郎」の印象を与えてしまいました(笑)
それは冗談にせよ、次の日からの実践でちょっとでもトチッたら「貴様ァ、冒涜だ!」と怒鳴られそうです。私は悲壮な覚悟をもってホテルへの帰途についたのでした。
良くも悪くも「さすがウィーン!」
かくもやかましい超保守派のライオヴィツ先生ですが、紹介した楽理分析のほかにも、昔からの伝統を守ろうとするウィーン的気質を感じさせるものがありました。
その典型がテンポ(演奏する速さ)です。
テンポを生徒の解釈に任せず、先生が指示することはアメリカでも見受けられます。しかしながらラヨヴィツ先生はそれが徹底していました。
とりわけモーツァルトのようなウィーンが誇る作曲家の作品を指揮するときは、先生の指定するテンポと完全に一致するように求められ、言われた通りのテンポで正確に振る練習なのかと思うくらい、ちょっと異常なほどでした。
少しでも指定と違おうものなら「WRONG TEMPO(間違ったテンポ)!!」との叫び声・・・
前編で申し上げたように、私が修了コンサートで受け持ったのはそのモーツァルトの交響曲第29番でしたから本当に大変でした。
特に第3楽章(メヌエット)で四分音符150(1分に150回数えられる速さ)くらいの非常に速いテンポを要求され、困るのなんの。これがたとえ本当にモーツァルト自身が望んだテンポだったとしても、私はぜんぜん共感できないからです。
コンサート本番では私どうしたと思います?
自分のやりたいようにやりました。だってそれが近代西洋人のアイデンティティであって、独自の芸術を発展させた理由なんだもの。それくらいは若かった私にもすでに長年アメリカに住んで分かっていました。
ウィーンにいたモーツァルトだって自分が信じるものをやって当時の "伝統" と対峙したんですから。
もちろん先生のテンポの意図はちゃんと考えて、リハーサルで試しました。弦が軽やかなリズム、かつ絶妙な重さで奏でる限り、そのテンポでやると昔日の宮廷を思い起こさせるような典雅な舞曲になります。けれどやっぱり私はしっくりこないんですね。
さて、コンサートが終わって打ち上げのとき。クロアチアの美味いビールやワイン、料理に舌つづみを打ちながら、みんなでワイワイ語り合います。
ところが私のモーツァルト演奏の話になるや、先生はその場の雰囲気が盛り下がることもいとわず、
「あのテンポは間違っていた! 正しくは・・」
と言って、自分のテンポで歌いだしました(他の部分はちゃんと褒めてくれましたが)。
酒席であってさえなお "分からせよう" と徹底する姿勢に、自分が受け継いだ "伝統" をかならず後世に伝えたいという、崇高なまでに頑固な、ウィーンの教師としての信念がまさにあったのです。
「この人の言う通りにすればよかったかな・・」
その姿に感動し、ちょっぴり後悔の念がわき上がったのでした。しかし客観的にみて現代っ子にはもはや適合しにくい教育なのは断言できます。良くも悪くも「さすがウィーン!」なのです。
次回(最終回):最大の収穫とは?
自分のヨーロッパ・コンプレックスから保守本流のウィーンの先生についた私。
書ききれないほど多くを学んだ中で、いちばんの収穫についてはまだお伝えしていないのですが、いったい何だと思われますか?
しかも、それは私のヨーロッパ・コンプレックスを吹き飛ばすきっかけにもなりました。最終回はそこからスタートしましょう。
「いちばん凄いと感動したのは・・今でも活きているライオヴィツ先生の教えとは?」
「ウィーンで教育?だから何?」
©伊藤玲阿奈 2024 無断転載をお断りします
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