![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/123356651/rectangle_large_type_2_bc8f233285aa8191d57cb11d0e27473b.jpg?width=1200)
太魯閣で出会った人々 (1) 台湾原住民から母語を習い愉しむ旅の始まりは、偶然と咄嗟の思いつきの一言だった
はじめに
2019年11月、台湾滞在3年ぐらいになって初めて太魯閣渓谷に行った。台鐵花蓮駅前でスクーターを借りて一時間弱走ると太魯閣アーチにたどり着く。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122976656/picture_pc_2e26284e0d0916e93caff801d309d2c1.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122975106/picture_pc_31acbdcab5647497d28ad180d8b6935c.jpg?width=1200)
そこから太魯閣の大自然が始まる。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122975592/picture_pc_845eb090e40be33e30a5f62c334c4723.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122975752/picture_pc_28cc49a7720554908ac4f6b5bfa18fd6.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122976408/picture_pc_57e0d7752722c7dc30d98b70130c8fd5.jpg?width=1200)
一般的な観光スポットの終点が約17km先の天祥付近となる。そのすぐ手前に緑水という地点があり、以前は太魯閣国家公園管理処が運営する資料の展示室があった。
その階下にお土産屋さんがあり、そこで私は初めて台湾原住民・太魯閣族の女性と話す機会を得た。当時、原住民文化に対し特に関心があったわけではなかったのだが、出会った店員さんの素朴な人柄と親切さに感じ入り引き込まれていった。
この時の旅の最も印象的な出来事であると同時に、約6年の台湾滞在期間中でも最も大切な記憶の一つになった。当時、その感動を誰かに伝えたくて、滞在する台南に戻り週明け周囲の台湾人に話した。私が話をしたのは3人だけだったが、その誰も太魯閣族という名の民族を知らなかった。その人達は私から見るとみな知的で教養の有る人達だった。どう解釈していいやら少し混乱した。しかし、直感したことが一つ有った。台南市街地と南部科学園区で接する台湾人との交流だけでは知り得ない台湾がまだ有るに違いない。そこで、台湾各地を積極的に回ってみることにした。行き先を決める理由は何でも良く、気になることがあればどこでも行ってみることにした。週末の土日で動ける範囲だけの気ままな一人旅。
自由に使える言葉は、你好・謝謝・好吃(美味しい)とあと少しぐらいしか無かった。しゃべれなくはないが心許ない。深い話は出来ないし、聞き取ることもできない。それでも気持ちは通じるから不思議なものだ。そのようにして出会った台湾の人々や出来事についてこれから記していく。そうしておなかないと、これら極めて個人的な体験は、私自身いつか忘れてしまう気がしてならない。外国人から見た台湾の、この素晴らしい国の、社会の、人々についての、つまりは台湾人についてのほんの一側面だがその細部についての、私が見たままの台湾を記して行きたい。
緑水合流遊憩服務站
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122980855/picture_pc_04ab26edcb75a58925e8f79a34707f4e.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122980908/picture_pc_2942ba2b8635bb4bfb880a514b142f61.jpg?width=1200)
誰もいない展示室
ここに2020年頃までは緑水合流遊憩服務站があって太魯閣渓谷の歴史についての資料展示室があった。展示室内に人はいなかった。太魯閣の歴史に関連してかなり辛辣な言葉で日治時代が表現されていた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122977589/picture_pc_50eb4d1c94eaf288824aab7a59b04eca.png?width=1200)
「我々の祖先達はそういう風に見られているのか」と、さすがに緊張感を覚えた。
店員さん現る
その緊張感を残したまま階段を降りていくと広いテラスに椅子とテーブルが並び、赤い民族衣装を着た店員さんがいた。他に客は誰もいなかった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122977842/picture_pc_00c91062084a97b6465b0133ea371b23.jpg?width=1200)
注文したコーヒーを持ってきてもらったときに思い切って尋ねてみた。
「あなたはタロコ族ですか?」
「シーッダ(そうよっ)」。
太魯閣に来て民族衣装を着ていれば必然なのかもしれないが、原住民は人口比で約2.5%との認識があった。そう簡単に出会うことはないと思っていた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84184691/picture_pc_5479b9e03641152c19b5a67f0ff326f0.jpg?width=1200)
太魯閣国家公園の展示パネル
咄嗟の思いつき
ならばと一つのアイデアが浮かんだ。
「ありがとうって、あなた達の言葉でなんて言うの?」
意外な展開
するとその若い太魯閣族の女性は考え込んでしまい、店の中に入って行ってしまった。すぐには出てこない。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/123357091/picture_pc_eac4906ad150d3747e4427007f4f26a9.jpg?width=1200)
ようやく先輩の女性店員さんと2人で出てきた。その先輩の女性が
「モホワイッス バーライ」
だと教えてくれた。短いが聞き慣れない言葉なのですぐには覚えられない。スマホを取り出し録音ボタンを押した。すると先輩の女性店員はスマホに顔を近づけて大きな声でもう一度「モホワイッス バーライ」と発声してくれた。
異民族の言語、聞き慣れない音の繋がりと響きは、エキゾチックで惹きつけられる。この音声dataは今も大切に保存してある。(つづく)