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I (私)について考える、愛のことば。

昨日の夜よんだ短歌をnoteに残します。


唄うたう
勇気もなければ
知恵もなく
だから私は
もがき苦しむ


自己存在価値について考え出すとキリがないのですが、短歌を作ろうと思ったきっかけはクレヨン画家生粋さんのとある教室でした。
今ここに生きるお話会、ということで「生きる」とはなにか、「I(私)」は何者なのかを考えた時に小難しいことは出来ませんでした。
今を生きる私にとって過去の記憶は必要なモノだと今は思います。しかし、私は辛すぎた過去があったらしく、いつも記憶が曖昧です。楽しかったことも辛かったことも向き合うことが出来ず記憶から消してしまいました。何があったのか思い出すことは不可能で、これからの記憶を作っていくのも難しいのです。今でも嫌悪感や高揚感は残っているのに何があったか思い出せません。上に書いた短歌も、昨日うたったはずなのですが朧気な記憶から出したモノです。


余談はさておき、私とは何者でしょうか。
自分が生きたことを、記憶を忘れていく私には何者にもなれないのだと言われているような気分でした。

人間臭く生きることを楽しみたい。
記憶に残せないなら、身体に覚えさせたい。忘れられない感動を創りたい。


答えにはなっていませんが、これが私の応えです。
そのためには知恵も勇気も必要です。地団駄踏んで、苦しみながら、たのしく生きていく。

時間は有限で、私にできることをひとつひとつ作り上げれればきっと、報われると信じています。


あの日、涙の意味がわからなかった私へ送る愛のことば。


これを読んでしっかり生きろ。

れのんの愛デアより。

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