『オパールの夢を見ていた。』展示会の運営を行いました。
※本noteには、藤村玲乃と藤村玲乃の実体についての話があります。しかし、今までもこれからも藤村玲乃はここにはおらず、性別はない、僕のままです。
始まりはこんなことから
『オパールの夢を見ている。』はとあるインタビューで出た一言から始まっていると言っても過言ではない。
「じゃあ、2人がメディア・ラボでやりたいことやってみれば?」
ある授業、「映像制作ワークショップ」では、僕と彼女は当時、改装予定段階だったメディア・ラボ(元コモンルーム)についてインタビュー動画を作ることが課題となっていた。メディア・ラボと言っても、建築とかデザインではなく、その空間をどう使って欲しいか、どう使いたいか、学科生にとってどういう場所になってほしいか、についてインタビューをすることが課題となっていた。インタビューの相手はワークショップデザインの授業も持っているY先生。僕ともう1人のインタビュアーである彼女は一年生の時、この先生のクラスだった。知っている相手にインタビューをしている緩みから、話題はどんどん逸れていく。
そして、先生は最後にこう言った。
「じゃあ、2人がメディア・ラボでやりたいことやってみれば?」
それが僕が二年生の時の後期。『オパールの夢を見ている。』の約一年前の話である。
せっかちと短気の違いってなんだ?
あのインタビューの後、しばらく三人だけの会議が進んだ。進んだというが、実際はY先生と僕の会議という名の言い合いである。Y先生の意見はこうだ。メディア・ラボができる前、学科内のイベントを運営していたのは学会だった。この学会かなり苦労をしており、人が少なく、当時の二年生は一人もいないと来た。(一年生がメインで動いていた。)そこに、改装された瞬間に別の集団が現れて、お株を奪ってはかわいそうだ。だから、もうすでにある学会と協力してほしいということだった。
しかし、僕はこの意見に反対だった。まず、当初考えていた展示会の方式は学会では行うことができないという返答が返ってきたこと。学会は、新入生歓迎のオリエンテーションの準備など、学科内の多くの問題を背負った状態であること。両者にとって協力することにメリットがあるとは思えなかったのだ。(メールの文面が威圧的だったことを根に持っているわけではない。)
その二つの意見から論点が動かないからこそ、展示の話ができない。正直、僕はこの時点でもういいかなと思い始めていた。なぜかと言うと僕が学内の展示会を主催することに躓くのはこれが二回目だったから。
変化はいつだって水のよう。
実は、展示会をしたいことを別の先生に話していたことがある。その時も学会と協力してとか、制作を手伝ってもらってみたいな話があった。メンバーを集めてからと言われて、はぐらかされているのがなんとなく伝わってきた。生まれたタイミングの悪い僕らは諦める癖がついている。
そもそも僕が展示会をしたいと思った話をしよう。僕はずっと文章を書いている。エッセイも詩も授業で学んだものだ。文章は、言語は、作品として展示することが難しい。絵の展示、立体作品の展示。そういうものはあるけど、文章の展示ってみたことあるだろうか。僕は一度しかない。最果タヒさんの『われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。』でしか見たことがない。だからこそ、僕はこの展示にすごい憧れを持っていた。
憧れが大きければ大きいほど、挫折したくないと思うものである。だって憧れを嫌いにはなりたくないじゃない。でも、それもとある人が加わったことで変化していく。学会のメンバーである二年生が、僕らの言い合いに興味を持ってくれたらしい。ほかにも二人ほど、Y先生がメンバーを集めてくれたそうだ。そこから、僕らの言い合いが話し合いに変わった。
前振りの威力
会議の終結は学祭で展示をすることを最終目標に、前期中に展示会をやろうということになった。また、知名度をあげるためにワークショップを行うことが決定した。僕はもちろん展示会のことをメインに進行していて、ほかにも普段から作品を作っている人たちを中心にグループを作った。
結果、かなり多くの学科生が作品を掲示してくれることとなり、第一歩として上々の出来となった。ワークショップに関しては、自分がメインで話し合いに参加していないにも拘らず、当日参加してしまったから、「どういう気持ちでここにいればいいんだ!?!?」と思っていた。(メンバーが少なかったので、仕方がないが。)
この展示は、店番とかはなく一日中作品を置いておいて、見てもらう形式を取っていたので実際にどれだけの人たちが来場してくれていたのかはわからないが、意見や感想を書いて置けるよう付箋を準備していた。開催期間は一週間。その間少しずつ自分の作品の周りに付箋が増えていく。自分のことを知ってもらえること、自分の文章を読んでもらえること、とても嬉しかった。これが前振りなのだ。学祭に展示会を行うための前振りなのだ。これ以上を欲してしまう。そんなことを考えながら展示会は終了を迎え、夏休みに突入したのであった。
誰が引っ張る?
夏休みは夏休みで、そこそこ忙しい日々を過ごしていた。それこそ大学生になってからなら、確実に一番忙しかっただろう。そんな中、僕は展示のことを少し考えていた。学祭に関しては、誰が「やろう」と言うのだろう。今までは僕だった。僕が一人でやっていて、彼女のおかげで二人になり、それがY先生のおかげでだんだん増えていき、今の形になった。だからこそ、僕は『僕が』になりたくなかった。僕は、チームで行動する際に、「アクセルを踏み続けて後ろを向いたら誰も彼もいなくなってた」という状況に陥りやすい。自分のことを理解した今だからこそ、第一歩を踏めない。くだらない葛藤をしている。もう『僕が』始めた、『僕が』やりたいことをやるチームではとっくになくなっている。夏休みがもう終わるころ、くだらない葛藤をしながら僕はlineを手にした。「そろそろ動きませんか。」と。
夏が秋を食ってゆっくり消えていく。
夏休み明け、割と重大な問題にぶち当たっていた。メンバーはだいたい三年生なのだが、三年しかも後期となればあまり学校に来ていないことも多い。つまり、今まで空きコマの間にやっていた会議ができなくなってしまった。
そうとなればオンラインである。オンライン会議。我が家のインターネット回線はかなり悪いので、マイクをオンにできない。オンラインにしても予定の都合上、全員は参加できない。くだらない葛藤をしていたせいで時間がない。なんだか、むずがゆい時間を過ごしていた。やりたいことがあるのに、できない。
加えて個人的な都合だが、学祭前にかなり精神的に体調が悪くなってしまった。病院に行くか悩むレベルで。(病状にも病名にも心当たりがあります。ご心配なく。)僕じゃなくて私が死んでいく。私の後ろで藤村玲乃が立っている。精神とつながった体の不自由がどうしようもなかったのである。 その際、連絡が返せずに申し訳ないと同時に、選択肢を決める権限が一人に絞られることの怖さを感じたのだ。
藤村玲乃という存在
僕の作品の話もしておこう。第一に、この展示会で本当にやりたいことはできなかった。最初の段階では、友達にデザインを頼んで販売までやりたいという気持ちがあったのだけれど、僕の自己肯定感の低さと楽観性から中途半端な声かけになってしまった。ごめんね。印刷してもらうことは間に合わなかったから、コピー本をやろうと思った。
結果、コピー本は二度とやらねえ。装丁までやったところで我が家のコピー機がソフトに対応していないことに気付いた。学校では、ソフトを入れられなかった。コンビニで印刷したらソフト設定のままで横印刷になった。結果、間に合わなかった。悔しい。
展示会では、できた装丁の部分をPDFにしたものをQRコードにして掲示していたが、僕が見ている限り読み取っている人はほとんどいなかった。本になっているのと、その前段階では受け取る側のハードルがかなり違うだろう。ほんとに悔しい。それもあってか、僕の作品にはほとんど付箋がなかった。
それと今回の展示の内装を担当しました。文字を考えて、つるして。そしてこの展示内装は『あれ』に似ていますよね。そうです。最果タヒさんのそれです。僕は憧れをやっと叶えることができた。内装に関しては、とても好評でありがたい限りです。この展示内装の準備は、「彼女」と唯一の二年生の三人で作ったので、あまり一人の作品と言う感覚がない。本当にありがとう。僕は二日目の店番で、一日目に来場者が多く来たらしい。一日目に店番をしていた人たちはその反応を見れたのだろうが、僕はあまり反応を見れなかった。なので、正直あまり報われた感がありません。三人でがんばったのになーと多分僕だけが思っています。
今回作品が間に合わなかった理由は、学祭の準備に時間をとられていたこと、体調が死んでいたこと、これらも大きく関係しているけれど、書き続けられなかったことにあるんじゃないだろうか。ずっと作品を作って直し続けられたら、こんなぎりぎりではなかったのかなと。だからこそ、書き続けないと。藤村玲乃を殺してはいけない。藤村玲乃をやめてはいけない。もっと時間をうまく使いたい。ずっと言ってる。夏休み前にやった展示より、僕にはいろんな意味でわだかまりが残っている。自分を責めている。
当たり前に集まって、当たり前に次の話をしよう。
展示が終わって、しばらくいろんなことを考えていた。すると連絡が来る。「振り返りするために集まりませんか?」余韻に浸っているところに来たからか、次がないとどこかで思っていたからか、少し驚いた。
次は何しようかという話から今回の展示の反省まで、いろんな話が出ている。僕が一番驚いたのは、「次の学年に受け継ぐかどうか」という話題が出たことだった。一番最初に一人で始めた時はそんなことを全く考えていなかったから、驚いてしまった。自分以外のみんながその先まで見ていて、その先が当たり前にあると思ってくれていることが嬉しかったな。(そもそも展示をやりたいと言い出したのは僕なので、もうそれにこだわらなくてもいいんだよな……)
藤村玲乃と私
これからの話をしようか。僕は定期的に私に喰われてしまう。だからこそ、生かし続けることが必要なんだよな。生かし続けることが無理なら、生かさず殺さずを持続させていくことが必要。それと、展示がなくても作品は作り続ければいいんだね。発表する場はいつでも作れると思うから。