#山の上のパン屋に人が集まるわけ を3回読んで「健やかな投資、健やかな株式投資」を考えた
↑の記事ですが、新幹線の車中、スマホでつくったものです。最初はこの記事をリライトしようか、と思っていました。が、方針転換。あたらしく記事をもう一つ、つまり、今のこの記事をつくることにしました。
最初にいくつか。僕は著者の平田はる香さんのnoteマガジンの読者です。
2020年11月5日に購読開始してました。
マガジンの最初の記事が2020年11月2日ですからスタート直後からの読者です。しかし、です。平田さんのnoteを読み始めたきっかけはハッキリと覚えていないのです。
この記事かもしれない。たぶん、そう。
この中で IKEUCHI ORGANICさんが紹介されていました。わざわざのこのページ。
正直に言うと、僕はわざわざのお店にお邪魔したことはありません。最初の買い物はオンラインストア。買ったのはこの本なんです。
そんなわけで、わざわざについて僕が語れることは何もありません。いつかお店にお邪魔してほんのちょっとだけ感想が語れるようになりたいと思っています。
さて、僕がこの本を3度読んでみて最も強く印象に残ったのが「健やか」と言う言葉でした。
本を読むと、どうしても「投資」「株式投資」と結びつけてしまう癖が付いてしまっているので「健やかな投資」「健やかな株式投資」って?、そんなことを考えました。
健やかな投資、健やかな株式投資
投資、株式投資は時間の関数だというのが僕の認識です。時間をたっぷり与えることで成果が変わってくる。プラス、マイナス、両方あって、ダメなことを長く続けてしまうとメチャクチャ目も当てられないくらいにダメになっちゃうし、ちゃんと真っ当なことを長く続ければ振り返ってみるとスゴいことになっていることもある。そんな感じです。たっぷりと時間を与えるのに必要なことの一つが「健やか」であることだと気付かされました。
健やかでない投資、株式投資。その行動を長続きさせるのはとても難しい、と思います。仮に長く続けていても「早くやめてしまいたい」そんな気持ちをずっと抱えることになるでしょう。ますます健やかではなくなる。そう思います。
どんな状態が自分にとって「健やか」なのか、それは人それぞれだと思います。
これはモノとの向き合い方ですが、株式投資で買うのは、事業に関わる権利です。その事業に携わっている、働いている人たちと対話して関わるのが「健やか」な行動だな、と僕は思っています。もちろん理想論で、全ての投資先の会社と対話できているわけでもない。けれど、そうありたい。その過程を実現してくれる、「手触り」を感じさせてくれる人、チーム、ファンドにより多くのお金を託したい、それが僕にとっての「健やか」です。
価格を追いかけ回して何百、何千の会社の株式を保有する。でも、どんな会社のどんな事業に関わっているかには興味を持たない。そんな株式投資から離れていったのは、僕自身には健やかに感じられなくなったからなのかもしれません。
”死ぬまで株式投資家でいたい” と思い始めた頃が、健やかな投資、健やかな株式投資を意識し出したタイミングなのかもしれません。自分にとってより「健やか」な状態を目指してきたのだろう、って。
「健やか」と感じられるかのポイント。本のこのフレーズです。
誰と関わるか、で「健やか」は違ってくるものですね。その誰かも時間や経験とともに変わっていくこともありますが。
この後、次のように文章は続きます。
豊かさもそうでしょうし、自分にとっての「健やかさ」をつくってくれると思います。
”誰に売る”(117頁)で、松本でのイベントでの平田さんの所感が述べられています。
お金で事業への参加権を手に入れるわけですから、株式投資も「買い物」です。それが、ただの「お金の移動」になっている、その状態が続いていればたぶん「健やかさ」は生まれなかった、僕の中では。
何度も書きますが、何に「健やか」と感じるかは人それぞれです。だから投資家一人一人で求めるものは違っていることでしょう。
手触り感や、その事業に(ちょっぴり)関わっているという認識が、僕にとっての健やかさのベースになってきています。そして関わっている事業で誰かを喜ばせていたり、助けになっていたりすることを知ることでその健やかさが増していくように感じています。
何をもって「健やか」なのか。それは難しい問いですね。でも、株式投資においても意識されるべき言葉になっていく可能性はあると思います。
以上 #山の上のパン屋に人が集まるわけ を読んだ3回目に感じたことです。
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