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深い愛や強い想いを込められてつくられたものも、結局、その「まわり」次第。

昨日、出逢ったノートです。

小川大介さんのnoteマガジン グッとnote。 でピックアップされていたから、このノートに出逢うことができました。小川さんに感謝です。

「どんなに豆にこだわっても、口にする瞬間で台無しになることってないですか?」

だから、「器」がとても大事ですよー、っていうご指摘。「当たり前でしょ!」って思われる人もいるでしょうけど、私はあらためて「なるほどなあ」と感じたのです。そもそもですが、器が無ければコーヒーを飲むことってできないじゃないですか。そして、一杯のコーヒーに至るまでのプロセスがよく考えられてデザインされていたとしても、最後に注ぐ器が、その香りや味わい等をしっかりと感じられないコーヒーカップだったりしたら、そこまでのプロセスが全て台無しに終わってしまう、ということは、コーヒーのことをよく分かっていない私でもすぐに理解できます。料理でも同じですよね、きっと。一流の素晴らしいシェフが時間をかけて丹精込めて調理した料理が、極端な話、紙のお皿で供されたら、どうでしょう。全てが台無しですよね。極端な話ですが、そういうことなんだと思います。

どんなに手塩にかけて、深い愛や強い想いを込められてつくられたものも、その「まわり」によって、最終的にそれを受け取る人の印象、感じ方が変えられてしまう、ということ。

ナガオカケンメイさんが「もののまわりなんだなぁ」と言われるのも、こうしたことに通じるのだろう、と思いました。

ものには、まわりが必要なのだと思う。

同じようなことが、株式投資や投資信託にも当てはまると思います。とてもステキな企業理念を基に経営されている会社、骨太で一貫性ある哲学を基にポートフォリオがつくられている投資信託。仮にそうした存在があっても、その理念や哲学が、その「まわり」にいる投資家に共有されていなかったらどうでしょうか。そうした投資家が、その会社や投資信託を届けている側が「こう感じて欲しい」という想いを、その通りに受け止めることができるでしょうか。その会社や投資信託を、正しく味わうことができるでしょうか。

会社や投資信託にとっても、この「まわり」を整えるという意識はとても大事なことだと思います。IR(Investors' Relations)で最も重視されるべきことではないでしょうか。

IRという文脈ではありませんが、このミーティングは「まわり」を整える、育てるという意味で素晴らしいなあ、って感じました。

このノートをつくってみようと思った理由は、もちろん、最初にご紹介したノートとの出逢いがあったからです。もう一つ理由があります。哲学や姿勢がとても素晴らしいのに、それを分かち合っていない投資家にまわりを固められているんじゃないか?って思わずにはいられない投資信託のことが思い当たり、その投資信託が不憫だなあ、切ないなあ、というのが強くなって、このノートになりました。

同様に、株式投資や投資信託に対してネガティブなイメージが多かったり、無関心な人たちがまだまだ多数、というのは、「まわり」が整っていない、育っていないからなのだろうなあ、とつくづく感じました。

「まわり」を整える、そんなイベントに出来ればなあ、と思っています。明日の開催ですが、お席はあります。ご参加お待ちしています。



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renny | 投資家
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