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直感で発想 論理で検証 哲学で跳躍: 経営の知的思考 (著・伊丹敬之さん)

「頭にひらめいたことを、ただちに手を通してかたちのあるものにし、そのアイデアを実証せずにはいられない人間。こういう人のことを、ホモ・ファーベルと呼ぶそうである。変な表現だが、『手の人』『モノを作る人』というわけだ。……たしかに私の生き方には、頭で考え、手で考えるといったところがある」(『私の手が語る』14ページ)

第4章 直感を刺激し、直感を回転させる 123頁

まず最初に感謝を述べておきます。

この本と出会うきっかけになった本屋さんです。神保町、PASSAGE by ALL REVIEWS さん。この本屋さんの楠木建さんの本棚で出会いました。

PASSAGE by ALL REVIEWS さん、楠木建さんに深く感謝しています。ありがとうございました!

本のタイトルに”経営の知的思考”とあります。「経営」?それは関係ないなあ、とお感じになったかもしれません。直感的に。でも、その直感は間違っているかもしれません。

自分の日々の暮らし。何に時間を使って、どんなふうにお金を使うか。これも一種の「経営判断」と考えることができます。自分の資本、つまり時間やお金、スキル、情熱等のエネルギーをどこに注ぐのか、を決めているので僕たちは「経営者」だ。そう捉える、認識することが出来ます。


僕たちは「経営者」であり「投資家」であるわけです。PIVOTさんのこの動画、ご覧になりましたか。



本の中では本田宗一郎さん、安藤百福さん、小倉昌男さん、西山彌太郎さんといった伝説の経営者の様々な「決断」とそこに至るプロセス、背景が著者の伊丹さんの考察とともに紹介されています。

「論理の蓄積が直感を生み、論理の堅牢さが哲学を支える」

本の「第2章 直感、論理、哲学、すべてを使う 75頁」からです。論理とは、なぜこうなるのか、どうやったらこうなるのか、を自分で考えること。そう理解しています。自分で考えること、その蓄積に乏しい直感は的外れになってしまう可能性が大きい。もちろん、運良くその直感が的中することもあるかもしれませんが。ただ考えることを積み重ねた直感の方が的を射抜く可能性は高くなり、これはある意味、運を引き寄せることにつながるのだと思います。

本では、極めて大きな経営判断、決断を「跳躍」と表現されています。その跳躍のもとになるのが「哲学」だと説かれます。跳躍は2つの行動で構成されています。一つは踏み切ること、そしてもう一つは着地した場所から走り続けること。です。この跳躍の基礎になるのが「哲学」とされています。

この「哲学」をどう捉えるか、は難しいところがいくらかありました。書き留めておきます。

 天命とか自然の理法と表現されているものは、世の中が動いている大きな原理、と言い換えられるだろう。この項(「踏み切る」ための哲学)でいう、技術の道理、世の中の道理、人間の道理のことである。その大きな原理がどのようなものであると自分は考えているか、というのがその人のもつ哲学である。その哲学に照らして、この跳躍はしていいものだ、と考えている。

第7章 跳躍できるための、哲学 204頁

これまでで最大の投資、直感か論理か

先日、投資家のろくすけさんにお話をお聞きする機会がありました。

最大の投資は、ご自宅の不動産の取得とろくすけさんはお話しされました。

実は、僕も自宅マンションの購入がこれまでで最大の投資です。家計を会社・企業に見立てると、です。1年毎で見ると、投資キャッシュフロー、財務キャッシュフローが人生で最大値となったのが、マンションを買った年です。また、投資信託や株式のこれまでの購入にあてた20年間の累積投資キャッシュフローは、自宅マンションの取得に投じた投資キャッシュフローの金額にまだまだ及んでいません。

その後、僕の家族が20年近く住み続けています。会社・企業に見立てるとその期間分の減価償却が進む一方、その時価は堅調に推移しています。

正直、当時の投資判断は直感によるところも大きかったのですが、それなりに論理を駆使したようにも記憶しています。立地がどうか、売却や賃貸のし易さ、そんな要素を色々考えて判断しました。実際、住んでみて分かったことの方が多かったわけで運に助けられた面は大きく、色々考えたといってもこの程度だったわけですけれど笑

論理の蓄積が足りない直感の拙さ、と感じた実例

先日、こんな記事をつくりました。

自分の時間をどう使っていたか、に対する振り返りです。上の記事で書いたような時間の使い方をしてしまった、言ってみれば投資の失敗ですね、これはなぜ起きてしまったのか。この本の枠組みを当てはめると、論理の蓄積が足りなかった、蓄積が足りない直感で判断したことがその原因だったと感じたのです。

投資信託を通じて、あるいは、直接に買う、どちらでも株式を買うことは、事業に参画することです。企業がM&Aで株式を取得するのと何ら変わらない行為です。

企業がM&Aで株式を取得する、あるいは、新規事業に打って出る、設備投資を実行する、こうした投資キャッシュフローの支出を決断する前に、精査を行なうのは当然のプロセスでしょう。もちろん、個人で出来ることは限られているわけですが、そのプロセスを何もしていなければ、直感や哲学が磨かれることはありません。拙い投資を続けてしまうことにつながります。

「世界経済の成長→株価は長期で騰がる」は論理か?

10年近く前、いや、もっと最近まで、この「世界経済の成長」を漫然と受け入れてました。なぜ、どうして、と自分で考えることが出来ていなかったと思います。

「論理」を考えるきっかけの一つが「マクロはミクロの集積である」でした。

スパークスさんの投資哲学です。

世界経済の成長はあくまで「結果」に過ぎない。個々の会社の価値創造、それを評価する証券市場。それがぜーんぶ足し合わされたのが世界経済。ミクロについて知ることの大切さをじわじわと実感するようになりました。

鎌倉投信さんの投資哲学も「論理」を考える大きな助けになってくれました。

投資は“まごころ”であり、金融は“まごころの循環”である
“まごころ”とは、ほんものの価値や豊かさを創造する会社を見極め、永きにわたって支えようとする想いです。
投資とは、ほんものの価値や豊かさを未来へ蓄えていくことであり、“まごころ”が大切であると考えます。
金融の役割は、お金の循環を創ることです。お金が“まごころ”によってつながれば、社会は豊かになり、よりよい投資の果実が得られると考えます。

「価値」だ、「価値」を探る、捕まえたい、把握したい、この好奇心、探究心は「論理」に対する好奇心、探究心だと僕は思います。

じわじわと「論理」の積み重ねを始めていきました。

NVICさんの「構造的に強靭な企業®️」も、論理への関心、興味を後押ししてくれています。

株式投資の本来あるべき姿 について話し合いましょう

「論理」を考えている際に、思い起こしたのがこのレポートでした。

上記データには1926年7月から2016年12月迄のCRSP普通株の全て(25,967)(企業数は25,332)を含む。1,092社 の大きな富を創造した企業以外に9,579社(全体の37.8%)が富を創造したが、それは残りの14,661社(同57.9%) による負のリターンによって相殺された。従ってこの間に米国上場株式を通じて創造された富の全ては、上位 4.3%(1,092÷25,332)によって説明できる。

https://www.bailliegifford.com/jp/japan/professional-investor/insights/ic-document/institutional-2019-q4-mutb-and-bg-client-forum-tokyo-actual-investing-japanese-ins-ar-0649/

このレポートで印象深い指摘は非常に沢山あったのですが、最も印象的だったのはこのアリゾナ州立大学のベッセムバインダ ー教授の調査でした。

本の中で「データ」に頼ることの危うさは指摘されていますから、この結果をそのまま額面通りに受け取ってはダメなのでしょう。しかし、これは個々の会社に対して「なぜ」「どうして」という論理を探ろうとすることが有用だ、という仮説を持つことは間違いではないと思います。

「論理」を積み重ねるうえで助けになっているもの

ここ数年、徐々に投資先の会社の事業について、どうして、なぜを考えることを増やしているつもりです。本を読んでこれが「論理」の積み重ねになってくれるといいな、と感じました。

さて、その「論理」の積み重ねを助けてくれる存在があります。

それが、保有している投資信託の月次レポート(四半期レポート)の一例です。

https://www.sparx.co.jp/mutual/uploads/pdf/gen_202212.pdf

https://www.ja-asset.co.jp/fund/140829/pdf/2020/10/pdfg140829_202010.pdf

https://www.am.mufg.jp/text/253406s_230206.pdf

これらのレポートから「論理」を考えるきっかけを数多くもらっています。これによって直感は磨かれ、哲学が育つのかもしれない、と期待しています。

”ホモ・ファーベル”

「頭にひらめいたことを、ただちに手を通してかたちのあるものにし、そのアイデアを実証せずにはいられない人間。こういう人のことを、ホモ・ファーベルと呼ぶそうである。変な表現だが、『手の人』『モノを作る人』というわけだ。……たしかに私の生き方には、頭で考え、手で考えるといったところがある」(『私の手が語る』14ページ)

第4章 直感を刺激し、直感を回転させる 123頁


冒頭のこの引用は『私の手が語る』からの引用です。本の著者は本田宗一郎さん。僕もずっと手を動かしてきたなあ、と思ったのです。モノをつくったのではなくて、キータイプです。毎朝、データを拾ってエクセルに打ち込んで分析してみたり、比較してみたり。その手作業はかなりの時間に及びます。そうしてつくったものはかなりの数になっているわけですが、その方向性が違っていると、とてつもなく間抜けな投資になる可能性があるのだな、と感じたのです。的外れな間違いをすることそのものは問題ではなく、それを漫然と続けてしまうことが大問題だな、と。

僕自身、手先は驚くほどの不器用さなのですが、手を動かすこと、書くこと等が自分に大きな刺激をもたらしてくれる。これは若い頃から実感していることです。だから、今も毎朝手を動かすようにしています。これは非常に重要な投資だと気づきました。

こうした投資、判断の失敗を避けるためにも「論理」、自分で考えることの重要性を再確認する読書体験となりました。偉大な経営者、大きな価値を創り出したプロセスや経緯について新しく知ることも多く、非常に有意義でした。

この本と出会えたのが直感の為せる業だとしたら、論理をそこそこ蓄積できている証拠・・・かもしれませんね笑

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