「長く愛されたい」その意思を感じるファンドが、十把一絡げに「アクティブファンド」とされるのは不憫だ
105皿目を迎えた、リレーエッセイ『本日のスープ~株式投資をめぐる三重奏~』。今回、アクティブファンドに求める条件を、まろさんがまとめてくださいました。
・新商品を乱発するのではなく、自社の運用哲学を色濃く反映した旗艦ファンドを大切にしていること。
・運用哲学や価値観を明示し、信頼・共感できる相手がどうか判断できること。
・投資先の企業をどのような観点で有望と判断したのか情報開示すること。またそれを通じて新たな発見や気付きを与えてくれること。
・年次総会や運用報告会を通じて、ファンドとの信頼関係を確認すると共に、そこに集う投資家の考えも共有することができること。
上記のような条件を満たしているか、確認できる投資信託、ファンドの数は、実は非常に少ないのが実状です。
一部の投信会社は
「このような取組をしたって個人投資家なんて、、、
どうせ結果しか興味ないんでしょ」
と考えているのではないでしょうか。ただ、こうした条件を満たそうと行動で示していない投資信託、ファンドを、個人投資家は長く保有したいと思うでしょうか。もちろん、パフォーマンスさえ良ければOK、とにかくパフォーマンスだ、という投資家も多くいるのは確かです。しかしながら、パフォーマンスは水物です。そして、こうした投資家に支えられたファンドは、一旦パフォーマンスが悪くなれば、どんどん解約されていきます。そのタイミングは本当は解約ではなく買い増しすべきかもしれないのに。つまり、上記の条件を満たそうという行動を行っていないファンド、投信会社は「長く愛されたい」と意思表示していないがゆえに、このような末路を辿るのです。
大事なことは、市況が好い時も悪い時も、それには関係なく、とにかく「長く愛される」そのための行動を示すことです。その行動の根っこには、そのファンドに関わる、ファンドをつくっている皆さんの「愛」があるのだと思います。ファンドをつくっているのは、ファンドマネジャー、投信会社だけじゃありません、投資家だってそう、投資先だってそう、そうした関係者のみんなの「愛」が、「長く愛されたい!」と訴える、呼び掛けるアウトプットとして顕れる。そういうことじゃないかな。
そのようなアクティブファンドが、ゆっくり、徐々にではありますが、増えてきているのを感じます。そうした動きに関心を寄せる個人投資家も少しずつ、少しずつ増えていると感じます。
と、こんなことを考えると、「長く愛されたい」と示す行動に取り組むファンドと、その意思を感じさせないファンドが、同類の「アクティブファンド」として十把一絡げにされるのは、本当に不憫です。「コストがー」という頓珍漢な評価もバシバシ投げつけられます、浴びせられます。不憫だ。不憫で仕方無い。アクティブファンドをコストで語るのはホントやめてほしい。全然関係ないからね、って私は思っている。「全然」はちょっと言い過ぎか。ただ、そこが一番大事な問題、論点では無いのは確かです。
ボーグル教かマルキール宗かエリス派か何だか分かりませんが、そういう宗派の教義はアクティブファンドには何の意味もありませんから。
インデックスファンドは、ある時点で目指すポートフォリオはただ一つです。であれば、一番安くそれを提供することが大事でしょう。投資家側もそれを「目を皿のようにして」気に掛けるのも理解できます。
しかし、アクティブファンドは、ファンドマネジャー、運用者の数だけポートフォリオがあるのです。投資の成果の源泉はポートフォリオを構成する資産です。コストではありません。凡庸なありきたりな数多のアクティブファンドの最大の問題は、その源泉たるポートフォリオをどうつくって、どう管理しているのか、それをキチンと伝えようとしていないことなのです。
「長く愛されたい」と行動で示しているアクティブファンド。
そうしたファンドに特別な名前をつけてみるのは如何でしょうか。
アンケートをつくってみました。ご協力をお願いします。
アンケートの結果を、私が担当する、次回の『本日のスープ~株式投資をめぐる三重奏~』の調理に活かしたいと思います。
『本日のスープ~株式投資をめぐる三重奏~』の100皿目までは、こちらでどうぞ。
**価格ではなく価値を求める個人投資家の想いがつまった一冊です。 **
m@さんのこの一言がズバリ、ドンピシャです。