「これをやりに自分は生まれてきた」を考えてみた
あらゆるものをスッキリ綺麗に美しくするのが好きで、なんかいつも勝手にやってしまっているもの。それが自分にとっては「整える」かもしれないとあるときに気付いた。
そこから、毎朝読み上げている自分用のメモには「整えるをやりに自分は生まれてきた」なんて書いて読み上げる…を繰り返す日々。文字に起こすとどうしても変態具合が見えてしまう。
毎朝読み上げている自分用のメモとは、以下で簡単に触れているもの。
「整える」をやりに自分は生まれてきたのか。そう思えたときに、それだけでよかったんだという感覚にもなった気がする。
例えば何を整えるのか?
暮らし
陰と陽のバランス
本当の自分と偽りの自分
目に見えるものと見えないもののバランス
パッと出てこないけどこんな感じ?
整えるをやるためには、まず両極端を実体験を通じて知るところから始まる。でないと整えよう!なんてまずならないよね。
ぼくはことあるごとに、両極端の世界のおもしろさを知ってどっぷりつかってきた。けどそれだけじゃどうにもうまく歯車が回らなくて、その間を行き来する必要性と大切さを学んだ。真っ只中にいるとなかなか気付けないんだけどね…。
そんな行き来を繰り返してきた中で、見つけた自分なりのひとつの答えが「整える」だったのだ。
そしてその先には、新しい言葉との出会いが待っていた。「整える=調和」かな?と気付く。
「調和」とは「お互いを活かし合うこと」という素敵な記事を見つけたので引用しておく。
調和…いいやん!しっくり感が最高です。今までも知っていたはずなのに、いまがベストというタイミングで出会った言葉は自分へのフィット感が違うね。
唐突に紹介するけど、ぼくの尊敬する四角大輔さんからもらった言葉の中に好きな言葉がある。
暮らしを極めて「これをやりに自分は生まれてきた」と思えることだけを考えて生きていけばいい。
自分の理想をカタチにしている人の言葉の力と言葉の説得力は半端なく、当時とても響くものがあって。そこからずっと、自分にとっての「これをやりに自分は生まれてきた」って何だろう?って考えていた。
でも考えるのをやめてさ、心の声と体感覚に従っていまはこれをやりたい!っていう「自分の暮らし」を整え始めて、ふと気付いたら見つかってたのよね。不思議だけど、やっぱいい意味で頭空っぽになっていないと見つからないものなのかも。
小さな気付きに出会うそのたびに、ぼくは変化し続けている自分にワクワクしてしまう。そしてその感覚をなんとか言葉に乗せて文章として残しておきたくなってしまうの。
その自分から湧き上がる素直な衝動を、極力こうしてアウトプットしておく。これはただ自分のためにやっている行為だけどそれでいい。回り回って誰かの気付きにもなるかもしれないから。
これからも短編作品のような自分メモとして、たくさんの気付きを残しておくつもり。
今日も感謝して。
【お知らせ】
Kindle書籍を出版しています◡̈
Kindle Unlimitedなら読み放題対象です♪