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文字の世界(文字について・01)
私にとって身近でありながら、最も気になるものであり、不思議で仕方がないものである文字についての連載をしようと思います。
文字については、これまで何度も記事にしてきました。というか、私の投稿する記事のすべてが文字について書かれていると言っても言い過ぎではない気がします。
この「文字について」という連載では、長くなりがちな記事をなるべく短くして、一回の記事では一つのテーマを扱うように努めるつもりでいます。体調を考慮しての措置です。
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今回のタイトルは「文字の世界」です。世界の文字の紹介だとか、フォントを集めて見比べるといった話ではありません。
たとえば、次の文章は文字の世界をかなり意識して書かれていると言えるでしょう。
僕はレモンなら思いきり囓ってみたい。lemon ならギュッとこの手で握って絞ってみたい。檸檬ならただ眺めていたい。
上の文章を誰かの前で音読した場合、相手はポカンとするにちがいありません。以下のように聞こえてしまうからです。
僕はレモンなら思いきり囓ってみたい。レモンならギュッとこの手で握って絞ってみたい。レモンならただ眺めていたい。
文字には文字の世界があり、音声としての言葉には音声としての言葉の世界があると私は考えています。文字には見ることでしか感じ取れない部分があるのです。
レモン、檸檬、れもん、lemon、remon
日本語の文字の体系では、こうした表記を楽しむことができます。
今「楽しむ」と書きましたが、効率や能率とか、意味の理解とか、円滑なコミュニケーションという観点から考えると、文字の表記による差異や差違は邪魔になるかもしれません。
私はといえば、文字の差違や差異を楽しむほうです。もちろん、時と場合によります。たとえば、新聞を読むさいには流し読みをします。さもないと読めません。
とはいうものの、つい立ち止まって文字に見入ってしまうことが、しばしばあります。私は文字の世界に染まりやすいのかもしれません。
その割には誤字脱字が多くて、ごめんなさい。
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記事が長くなりそうになってきたので、この辺でまとめます。
猫にはぜんぜん似ていないのに猫であるとされて、猫の代わりをつとめ、猫を装い、猫の振りをし、猫を演じている。そんな不思議な存在であり、私たちにとって最も身近な複製でもあるもの――。
これが文字です。
簡単に言うと、「猫」という文字は猫というものとは違うし、似てもいないという意味です。なのに「猫」は猫なのです。
こういう考え方は変ですか? 似たように考える人がいるみたいで励まされます。
以下は、X(旧ツイッター)で私のタイムラインに流れてきたポストです(この種の現象がよくありますが、どうやら私には機械の読者がいるようです)。嬉しくなってリポストしてしまいました。
“Everyday language calls a cat a cat, as if the living cat and its name were identical, as if it were not true that when we name the cat, we retain nothing of it but its absence, what it is not.”
— Bianca (@lightinkpaint) September 17, 2024
— Maurice Blanchot; tr. Charlotte Mandell pic.twitter.com/vZRJYDxBuv