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あなたとの出会い

 今回は、あなたと初めて会ったころのことを書きます。


「二つの「あなた」」
「あなたは近くて遠い、まぼろし」
「「I love you./only you」+「 I miss you./without you」」

 以上、一連の記事の前提となる「あなた」という言葉の辞書での語義とイメージについてまとめてみます。

・「あなた」:彼方・かなた・あなた。「あなた」=you。
・「あなた」:貴方・あなた。「あなた」=over there。

 図式的に言うと、上のようにまとめることができます。

・近くにいる「あなた」
・遠くにいる「あなた」

 というふうに、あっさりとも言えそうです。

山のあなたの空遠く


 私が「あなた・彼方・貴方」のうちの「あなた・彼方」に出会ったのは、上田敏訳の「山のあなた」(『海潮音』より)というカール・ブッセ(上田敏はカアル・ブッセと表記しています)の詩を読んだときでした。

 この詩は青空文庫でも読めますが、だいぶ下のほうにあって、探しづらいかもしれません。

     *

 以下にその詩を引用します。

山のあなたの空遠く
さいはひ」住むと人のいふ。
ああ、われひとゝめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
さいはひ」住むと人のいふ。

 以下はドイツ語の原文です。

Über den Bergen weit zu wandern 
Sagen die Leute, wohnt das Glück. 
Ach, und ich ging im Schwarme der andern, 
kam mit verweinten Augen zurück. 
Über den Bergen weti weti drüben, 
Sagen die Leute, wohnt das Glück. 

 残念ながら私はドイツ語にはぜんぜん詳しくありません。原文で脚韻があることはかろうじて認められます。欧米の定型詩で見られる音節の数も合わせてあるのでしょうか。

 私は詩歌にはうといので、辞書の語義を引用します。見やすいように、改行してあります。分かりやすい説明です。

韻律(いんりつ):
 詩の音声的な形式。
 音声の長・短、子音・母音またはアクセントの配列の仕方によってあらわっすものと、
 和歌・俳句のように音数の形式から成るものとがある。
(以上、広辞苑より・改行は引用者による)

     *

やまのあなたの そらとおく
さいわいすむと ひとのいう
ああわれひとと とめゆきて
なみださしぐみ かえりきぬ
やまのあなたの そらとおく
さいわいすむと ひとのいう

 このようにひらがなだけで表記すると、日本の定型詩である短歌や俳句の基本リズムである、七・五調で訳されていることが分かります。

彼方、さかしま


「彼方(かなた)」といえば、私はユイスマンスの『彼方』(原題は Là-Bas または Là-bas )を思い出します。この小説は悪魔崇拝がテーマで、例のジル・ド・レの話も出て来ます。田辺貞之助訳の『彼方』は、まだ二階の書棚にあります。

 細かい文字(註の文字がさらに小さくて読みにくい)の創元推理文庫版です。さっき二階に上がって見てきましたが、もう古くなった文庫本は色が褪せて不気味な雰囲気を漂わせていました。

 ユイスマンスは澁澤龍彦訳で『さかしま』(原題は À rebours )を学生時代に読みました。これは二階にはもうありませんでした。処分したのでしょうが、いつのことか覚えていません。

「さかしま」という言葉があることは、かつてこの邦訳を手にして初めて知ったのですが、「さかさま」ではなく「よこしま」(邪悪)を連想させる「さかしま」を選んだ澁澤の語感に感心したのを(勝手な連想であり誤解なのだと思いますけど)覚えています。

『彼方』 (Là-Bas )にしろ、『さかしま』( À rebours )にしろ、晩年に読み返すような内容の作品ではない気がします。後ろ向きすぎるのです。

 退廃的であったり悪魔主義的なものを指向するのには、ある程度の若さとパワーが必要なのかもしれません。

     *

 私は高校時代に澁澤龍彦(そして森有正)に傾倒し大学でフランス文学を学んだのですが、当時よく読んだフランスの作品の訳者に堀口大學がいました。堀口大學訳のジャン・ジュネ作『薔薇の奇蹟』も忘れられない作品です。今は新訳が出ているのですね。

ちまたにあめのふるごとく


 堀口大學といえば、次の訳詩を思い出します。冒頭だけを引用しますが、ご存じの方も多いと思います。これも七・五調で訳してありますが(全体がこのように訳されているわけではありません)、こうした職人芸のような翻訳が好きです。

ちまたにあめの ふるごとく
わがこころにも なみだふる
かくもこころに にじみいる
このかなしみは なにやらん

巷に雨の降るごとく
わが心にも涙降る。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?  

 上の二つのバージョンを読みくらべると、別の詩に感じられます。似ているけれど同じだとは感じられないのです。

     *

Il pleure dans mon cœur 6音節
Comme il pleut sur la ville ; 6音節
Quelle est cette langueur 6音節
Qui pénètre mon cœur ? 6音節

 フランス語の原文です。もっと長いのですが、原文を音読すると心地よいです。

 ポール・ヴェルレーヌの作であるこの詩は学生時代に暗唱させられました。今でも口をついて出てきます。

 フランス語の授業ではやたら暗唱をさせられるのです。詩だと一編丸ごと、小説や戯曲や論文や哲学書だと一節という具合にです。それがフランス語教育の伝統みたいです。

かえて失われるもの、かえても同じもの


 詩は翻訳されると別の詩になると言われますが、確かに小説やエッセイなどの散文と違って、詩では韻や律など独特の約束事があるために、翻訳すると失われるものが目につくし、それが耳にも感じられます(原文と照らし合わせればの話です)。

 ある言語から別の言語へ置き換える翻訳だけでなく、さきほど見たように、日本語訳の詩の表記を変えるだけでも、印象ががらりと変わります。

 かえる、換える、代える、変える
 かわる、換わる、代わる、変わる

 このように、ひらがなだけの和語を漢字まじりの表記に「かえる」だけでも、「かえる」と「かわる」そのものが「かわっていく」のが目に見えます。

 でも、音は同じなのです。

 文字ではかわっても、音は同じ。

 かえて失われるもの
 かわって失われるもの

 かえても同じもの
 かわっても同じもの

 文字は不思議なものです。文字の不思議さを、今私は文字で見ているのですから。

     *

 文字の不思議さを文字に見る。
 音の不思議さを文字に見る。

 音は見えない。音は消えていく。

 あなたは近くて遠い、まぼろし。

     *

 あなた、彼方、貴方

 上の表記でも、かえて失われるものと、かえても同じものが体感できます。

 かえて失われるものをしるすのが、文字の役目なのかもしれません。

 かえてもかわらないものは目に見えないし、たちまち消えてしまうからなのでしょうか。

 でも、人の心に残って、最後の最期までついてきてくれるのは、その見えなくて消えてしまうものなのではないでしょうか。

 呼べば、すぐに来てくれるのです。きっと、どこかにいるのです。

You've Got a Friend


 かつて初めてこの歌を聞いたときには、なんて嘘っぽい歌詞なのだろうと思いましたが、今になって聞くたびに、そして記憶をたどって歌うたびに、深くうなずいている自分がいます。

 言葉、それも文字ではなく話し言葉のことを歌っているように思えてなりません。

You've Got a Friend (1971)by Carole King

あなた


 言葉、それも文字ではなく話し言葉のことを歌っているように思えてなりません。

 こう書きましたが、私が呼べばすぐに来てくれるあなたが、文字なのか音なのか声なのか、私には分かりません。どこにいるのかも知りません。

 来てくれるだけで、幸せです。

山のあなたの空遠く
さいはひ」住むと人のいふ。
ああ、われひとゝめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
さいはひ」住むと人のいふ。


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