~彼らは生き延びた~ TVドラマ『海に眠るダイヤモンド』がすごかった!
生き延びた人々の気高さ
突然だけど今回、めずらしくリアタイで追ったTVドラマ『海に眠るダイヤモンド』がとーってもよかったので、感想を書きたい。
ただ、このドラマの感想文はnote記事だけでも5桁に上るので、他の記事を全ては読み切れない。でも、よかった思いは残しておきたい。
というわけで、今回は特撮ドラマ感想ではないドラマ感想になる。
書くにあたっては私なりにこの見出しのテーマを決めてみた。恐らく、すでに書いている人もいると思うのだが…。
鉄平
最終回まで見た感想は、「この人、ニチアサのヒーロー?」だった。要するにこんな利他的な人物を、私はニチアサのヒーロー以外で見たことがなかったのだ…。
突っ込んで言うと、私見にはなるが鉄平については、ものすごく『仮面ライダーオーズ』の火野映司とイメージが被った(映司は「手に届く人々を守る」ために、最後には人間であることをやめてまで、ライダーとしての危険な進化を遂げてしまう)。このドラマに引き込まれてしまったのは実は、私の特オタならではの、この印象が原因だった。
リナと誠を守ることを選んでからの鉄平の人生は、見ようによっては痛みと悲しみと苦しみだけにまみれている。
心通じ合い、将来の伴侶となるはずだった朝子に、何一つ弁明するチャンスも与えられないままの別離を受け入れざるを得なくなってしまった。
やくざ者に執拗に追い回され、定職にも就けず、点々と各地を逃げ回る生活。それでも鉱山が閉じられたことで失業した人々のために、逃亡先からでも就職先をあっせんする鉄平。
最後に賢将と会った時の彼の顔には、恐らく例のやくざ者かその仲間かに殴られたであろう痣が刻まれていた。賢将とわずかな会話を交わした後、笑う力さえ失ったように鉄平はそのまま遮断機の向こうに消えてしまう。
(観ている側としては「雨に濡れる子猫、または子犬などを拾って可愛がるヤンキーの優しさにホレる女子高生」みたいなシチュエーションが、異世界のメルヘンにすら思えてくる。ーーーそういうヤクザな世界がここでは繰り広げられている)
私だったらそんな踏んだり蹴ったりの人生、あっという間に音を上げるだろう。
もちろん鉄平だってこういう人生など、望んでもいなかったろう。けれど彼にとってはリナと誠の手を放し、「もっと本気になれば守れるはずだったのに」と後悔しながら送る人生の方がよほど不幸だし、そんな道はあり得ない、と思ったんじゃないだろうか。
何か、こういう所もものすごくニチアサのヒーローっぽいのだ。ここまで徹底的に自分が報われなくても、人を守るだけの覚悟があるか、と、時に厳しいくらいに問いかけるようなところがー。
けれどその後、彼は奇跡を起こす。
2018年、玲央と共に鉄平の足取りを追い、朝子が最終的にたどり着いた場所は彼が生前、住んでいたという家だった。現在は公共の持ち家になっているが、鉄平は亡くなる時までそこでお年寄りの話し相手や、子ども達の居場所を与えるなどのボランティア活動に、その後の人生すべてを捧げていたという。
つまり、鉄平はあのヤクザたちから最終的には見事、逃げ切っているということだ。それだけにとどまらず、それから安定した職か、何らかの財を得て、自分の家を建て、少なくとも自分の夢の一つ(愛する人と結ばれることは叶わなかったから)を叶えている。
しかも、かつての恋人・朝子を一途に想い続けた”しるし”のような、水色の手掘りのギヤマングラスや、庭のコスモス畑を残してー。
鉄平は生き延びた。それだけでも奇跡だ。
けれどそれだけじゃない。あれだけの逆境の中で彼はどうやって自分の優しさを腐らせたりせず、保ち続けていられたのか。一人の人を変わらず想い続けていられたのか。
その強さを知りたい。解き明かしたい。そう思った終幕だった。
リナ
この人も本来なら、ヤクザたちに追われて人間らしい生活など、望めなかったかもしれない人物だ。ーもしも端島で鉄平と会わなかったらー。
鉄平の章でも触れたがこのヤクザたち、大変執念深いし、逆恨みで人を傷つけたりひどいと殺したり、までも、ばんばんやりそうな人たちだ。
もちろん、だから彼らが全面的に悪い、と断言してはいけない、とは思う。端島に来た当初、リナの方もかなりなやさぐれ感がにじみ出ていたし、それゆえに相手を傷つけるような言動をした可能性もある。だからリナが追われるようになった理由にはどっちもどっち、なものがあるのかもしれない。
けれどそれも見越した上であっても、リナが理不尽な理由付けで追われていた可能性の方が高そうではある。
なぜって、端島で鉄平や朝子や百合子たちに心をほどいて、親しくなってゆくにつれ、リナがごくごく普通の娘であることが見えてくるから。
ただそれ以上に、私はこの人をとてもよいな、と思った。
リナがもらった幸せを無駄にせず、自分の人生を幸せに生き延びる強さを持っている人だ、と思えるからだ。
本人にその気は全くなくても結局、リナは自分が背負ってきた「追われる者の苦しさ、辛さ」といった重荷を、全てを鉄平に肩代わりさせてしまうことになった。例え鉄平のように自ら申し出て、強引にその荷物をはぎ取ってしまったにしても本来、リナが背負うべき重圧を鉄平が代わりに負うことになった、という事実は変わらない。
(ただ間違ってはいけない事は、一番悪いのはリナにその重圧を与えたやくざ者たちである、ということだけど)
もしも私がこの立場なら、端島で自分を助けてくれた、鉄平や朝子の人生をめちゃめちゃにしてしまった罪悪感に耐えられず、もっと自暴自棄に逃亡後の生活を送ったかもしれない。愛した人の子どもの存在があったとしても。少なくとも二度と腹の底からは、笑えなくなる確率が高い。
だが彼女は息子の誠を一人前に育て上げ、顔を上げて、胸を張って生きた。朝子が社長として事業を成功させた記事を読んで、心から嬉し気な笑顔ぞ見せる。それがすごいことだと思うのだ。
でもそれは、リナが傲慢な女性だからじゃなく、自分が鉄平の命懸けの厚意に応えるためには、自分が幸せに生きることでしか返せない、と思ったからかもしれない、と思うのだ。
そうやって、彼女も気高く生き延びた、とー。
朝子
2018年の時点で、端島の時代を分かち合う仲間も、弟も夫も、すでにこの世にはいない。朝子もそういう意味では一番永く「生き延びた」人だ。
そしてそんな彼女は、人生の終盤戦で鉄平と同じことをする。朝子は早朝の歓楽街で、自分のポスター写真に反吐を吐くかのようにジュースをぶちまける、ホストの玲央に出会うのだ。
それを見た朝子は玲央が「昔好きだった人に瓜二つ」だと告げ、結婚しよう、と言う。
自分を投げ打つような、鉄平ほどの激しさはない。
けれど、彼が端島に流れついたリナを命懸けで助けたように、朝子は同じことを「結婚しよう」の一言でやろうとしたと思うのだ。
この一言が、どん底であがいていた玲央の魂を助けようと差し伸べた、朝子の”手”だったのだ、と思う。
最後、当時の写真が発見されることで、鉄平と玲央が実は全く似ていないことが明らかになる。
そこで思うー。
夫の墓に手を合わせ「忘れたわけじゃないのよ」と話しかけ、自分を社長の座から追い落そうとした娘と息子に「(鉄平が自分の前から消えてしまったから)あなたたちに逢えたのよ」と最後には言える朝子。
その清冽さには、胸を打たれずにはいられない。
だから、朝子が玲央に「昔好きだった人に瓜二つ」と言い張っていたのは、やっぱり玲央の痛みと孤独を見過ごせなかったからじゃないかな、というのが今の私の結論だ。
総評
野木さんの物語は、最後にはいつでもどこかに優しさが織り込まれている。
でもその優しさを受け取りたいなら、世界が優しいことを望むなら、自分たちがまず、胸の中に勇気を持たなければいけないのだ、と突き付けてくる。どう応えられるかはあなたたち次第だ、と。
『海の底のダイヤモンド』。
いいドラマでした。