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Dissertation week 8〜9: 修論執筆の苦悩〜自分は何者で何を生み出したいのか?(2024.8月前半の話)

写真は、パキスタンの友人たちを中心に、賑やかに毎日過ごしていた寮のキッチンです。
修論の執筆期間にコロナに罹患し、復活してからは提出に向けて脳みそが燃えるような時間を過ごしてあっという間に修論提出、退寮、そのままバタバタと卒業旅行、帰国からの日本での生活基盤の立て直し、復職、と余裕のない日々を過ごしていました。
寮での日々を思い返すと、いろいろあったなぁとじーーんと胸いっぱいになります。
そして、今週は、卒業式🎓があるため、有給を取りイギリスに向かっています。
この機会に、修論を通じて考えたこと、感じたことを書いてみたいと思います。

0. 自分は何者として何を書くのか?

私のクラスは4割くらいがインド人で、次いで中国、ナイジェリアが3人、インドネシアや日本を含むアジアを中心のクラスメイトで、いわゆる欧米の生徒というのは、少なかったのが特徴でした。
出国前に、母校の校長先生の講話を久々に聞く機会があり、自分を知ることが大切だ、というようなことをおっしゃっていたのですが、まさにその通りで、こうした国の友達と『持続可能な開発とは何か?』と会話すると、どうしても、日本人であるが故の傲慢さみたいなものが出てしまうリスクを日々感じていました。
・なぜ私たちは発展できたのか?
・他の国からどう見られるのか?
・今後も互いに敬意を払って平和を保つためにはどうしたら良いのか?
無意識のうちにいつも考えていたように思います。

修論を書くときも、
・ひと足先に豊かになった国の1人
・その中でも社会人留学ができるキャリアの構築機会に恵まれた1人

であることを意識し、傲慢にならず、尊敬や羨望ではなく、対等な敬意を互いに持つにするにはどうしたらいいか、というようなことを考えていました。
実感として本当に、日本はまだ豊かと言えるのか、疑問に思う方もいるかもしれません。ただ、私のクラスメイトたちの国と比べると、やはり全体としてはまだまだ豊かで、何より、医療や交通網など、いろんな仕組みが整っている先進的な、他の国からすると半未来な国であることは疑いようがない事実です。

1.0 財務会計に関するコンサルティングに携わった者として〜お金(Finance and Accounting)を通して見る世界

私の修論の指導教官の最初の授業で、印象深かった問いかけに、お金とは何か?というものがありました。
授業の中で、お金とは、"信用(credit)"である、という議論をしたのですが、豊かな国や人、とはつまり、信用の高い国とか個人ということになります。

この信用あるいは信頼を何に使うのか?
というのは、資本主義の世界では、世の中を動かす力になるわけです。
つまり、しっかり働いて、社会における信頼を積み重ねた人間として、そこで稼いだお金を何に使うのか。何か"良いこと"に使ったり投資することで、世の中が良くなるはずである、ということです。

1.1 お金を流す方向性の模索=サステナビリティに関連する開示基準や法律たち

でも、
・目の前の商品は本当に良いもの?
・良いもの(例えばオーガニック野菜とか)を買うのは贅沢ができる人だけじゃないの?
・一部のお金持ちが良いものを買ったからって世の中変わらなくない?
・何が良いものなの?
・良いとか持続可能とかってそもそも何?
・それって見せかけじゃない?
・ちょっと宗教ぽくて偏ってない?

とか、当たり前のようにお金が"良いもの"に流れたり、一人一人が自然に"良いもの"にお金を流そうとするには、ハードルがいろいろあるよな、どうしたら自然に一人一人が良いものにお金を流すようになるのか、何となくこっちがいいよね、という流れを作れるのか?というようなことを考えていました。
一つの方向性を示すものが、いわゆる開示基準やルールで、完全な基準というものはなくても、その欠点を理解しながら判断していく、というのが一つのやり方になる、というのがこれまた別の"基準とは何か"や"政策とは何か"を考える授業で学んだことの一つでした。

1.2 タクソノミー 〜何が気候変動や環境に良い(悪くない)かを示した基準

一つのこうした基準作りの先進事例がEUで、企業のビジネスがどの程度グリーンなのかの割合を示すことを義務付けた、EUタクソノミーという基準を使って修論を書くことにしました。

これはあくまでEUの基準で、経済成長を資源の消費と切り離して実現する、というEUの経済発展を支えるための仕組みでもあります。
よって、地球全体でみた時に本当に良いのか、環境に優しいビジネスにお金の流れを促しているのか?、人々のお金にまつわる行動変容を促しているのか?など、課題はあるはず。
サステナビリティに関連する制度対応が次のキャリアにつながる、と睨んでいた私にとって、この制度の課題や実効性を考えることは、就職活動の一環でもありました。

2. ひとりの人間としてこだわりたかった視点〜"私"を含めた個人を変えたい

少し話が逸れますが、高校生の時、大学受験の受験勉強でよく、夏目漱石がよく出てきたのですが、"私の個人主義"という講演録が中でも私の心に響き、やらされ感に陥りがちな受験勉強の中であっても、学ぶことの楽しさを見出させてくれた文章でした。
大きく時代が変わる中で、生きるか死ぬかではなく、Aと生きるか、Bと生きるかを決める必要があって、決断を求められる苦しい時代だ、みたいなことが書いてあったのです。
今思えば、豊かになるということは、選択できるようになるということであり、選択することへの責任を持つことである、というようなことを意識するきっかけだったのかもしれません。

加えて、前出の指導教官の授業で出てきた統計に、世界で運用されているお金の大半は遡ると個人の資金(いわゆる投資だけでなく、年金や保険、銀行や郵便貯金などなど)である、といったこともインスピレーションのもとになり、私たちが消費だけでなく投資も含め、正しい選択をする、ということを微力ながらも促す文章を書きたい、と考えていました。

いったん休憩

ここまでが、何を書きたかったのかという修論での前半部分です。
これをどうやったら論文にできるのかというのを統計取ってみていろいろ検証したり、発見したことや言いたいことをまとめるために論文読んで頭がパンクしたりしたのですが、この辺についてはまた別記事にしたいと思います。

それでは今日はこの辺で。みなさま、ごきげんよう。

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