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歪み
久々一気に読んだ
当時この事件を知った時は衝撃だった
事件を起こしてしまうまで、長かったんだろう
最後の方で涙が溢れた
ずっと、ずっと、否定と罵声を浴びせ続けられて育つと、褒められても素直に受け入れられない
その呪縛は、そう簡単には解けない自己肯定感なんて育たない。
「私なんて」が常に根底にある。
どれだけ他人に褒められても、何も響かない。
素直じゃないとか卑下しているとか、、、そのような言葉を放つ人とは、きっと分かり合えないことは分かる。
自分の認知を変えようと努力はしても胸の奥底で時折揺さぶられる鈍い痛みは、どうすればいいのか。
呪縛を解くのは、かけられた本人の努力で何とかなるものなのか?
かけた人しか解く術はないのではないか?
なぜなら「私」を認めて、愛して欲しいのは「私」ではなく呪縛をかけた「母」にだから
そんな事を考えていると、その対象がこの世にいない人たちは、鉛のような寂しさをずっと抱えて生きていくしか術はないのか
自分の認知を変えようと、私自身努力はしてきた
私の母はまだ健在だ
かつて、私も呪縛を解きたくて
幼少期の苦しかった出来事を母に話したが、恐ろしいことに、記憶は都合よく抜け落ち塗り替えられ「あんたが悪かったからねぇ。嘘はつくし、言い訳やら、誤魔化しやら。ヤンチャやったしねぇ。手を焼かされたわ」と笑ってた。
私の記憶がおかしくなったのか、あれは夢だったのかと六つ下の妹にそれとなく聞いたら「母の姉に対する態度はイスラム教の刑罰やったからなぁ」と笑っていた。
面白い事をいうなぁと私も笑った。
振り返る過去の傷は、痛みすら感じないのだ。
そう、麻痺する。
ズキッと痛む傷は、かすり傷なんだ。
深すぎる傷は、凍ってしまうのかも知れない。
私が誤った方向に行かずに済んだのは、厳しかったけど根底に愛を感じていた父の存在が大きい。
「お前は大丈夫」「いつでも帰ってこい」「お前を信じてる」「お前は俺の宝や。コピーや」「愛してるよ」
だから私は幾度か投げやりになっても、最後の一線を踏み止まる事が出来た
私を信じて理解して愛してくれた父がこの世からいなくなってしまったから、離れて暮らす母を私は気にかけねばならない
彼女の自己中心で我欲の強い性格は、親戚、近所、いく先々の職場でも争いがあったり、私の妹家族や私の子供たちも嫌煙する。
それは彼女の蒔いた種で、幾度となく諭すが、七十をとうに過ぎて、今更改めてる気もなく、そもそも気付いてすらいない
父が亡くなったから、ときおり連絡しているが
父が病に倒れてから毎日毎日、電話して向き合いながら励ましたり、話しを聞いたりは、私がしたかったから苦にもならなかったが、一人になって遠方で暮らす母への連絡は、正直、気が重くて仕方ない
そして、そう感じてしまう自分に非があると、無意識に自分を責めてしまう
虐待を受けた子供は、親を恨むという感情よりも、自分が至らないからだと、自分を責める
そして、怒りや、その奥の哀しみの矛先を自分に向けて、自分を傷付けることで、復讐した気になる
そのラインを越えてしまうと、矛先は親に向くのか
いずれにしても、本人にしか分からない
いや、本人にも分からないのかも知れない
苦しかったり、憎しみで震える感情の中に、ときおり見える母の優しさや、笑顔が色んなものの邪魔をする
憎しみだけをぶつけてくれたら、こんなに感情を振り乱されることはないのに
母は母で、しんどかったのだろう
母は私のためを思って、ただやり方が分からなかっただけで、本当は愛してくれていたのだろう
怒りに任せて、力の加減さえせずに何度も何度も殴ったのは、本気で向き合ってくれたからだろう
自分の認知を変えようとするが、単純に、憎らしいと感じていた思いを敏感にキャッチしてしまうから、どうしようもない