なんで自分が悪いと思わないんだろうという攻撃
自己否定感が強かったり、自分を責めがちな人というのは、
なにかあるとつい、自分のせいなんじゃないかと思ってしまったりする。
悪いのは自分だ、と自分を責めてしまう。
問題というのは、グラデーションだ。
どんな問題であろうと、100パーセントで特定の人が悪いということはありえない。
それなのに、自分を責めてしまう。
わかる。とてもよくわかる。
でもそれが、ふとした瞬間に形を変える。
人というのはどうしても、自分を中心に考えてしまうもの。
自分はこう考えるから、他の人もこうに違いない、とか、自分はこうしてもらえると嬉しい、嫌だというのも、相手を見ているようで、自分視点だ。
次第に、「悪いのは自分だ」という考えを持たない人に対して、なんで?という気持ちがわいてくる。
自分自身がそういう考えだからだ。
悪びれない人というのはもちろんいて、自分は悪くないと心から思う人だっているし、悪く思っていても、強がってそれを態度に出せない人だっている。
そういう人に対して、なんで自分が悪いって思わないんだろうと思い始める。
それっていうのは、実は単純な話、その人を責めているのと一緒だ。
Aさんがいたとして、「AさんはなんでAさん自身が悪いと思わないんだろう」と疑問を持つということは、間接的にAさんが悪いと言っているようなものだ。
間接的に攻撃しているのだ。
でもそれは仕方がないこと。
人は、守れば守るほど、攻撃したくなるからだ。
誰を守っているかって、シンプル。
自分自身。
こんなことを言うと、なんだかものすごく悲しくなる。
自分が悪いと自分を責めてしまう人が、ただ自分を守っていただけだなんて言うと。
そうそれは、振り子のように、いい日もあれば悪い日もあるように、調子がいい時もあれば悪い時もあるように、
みんなではしゃいで盛り上がった後1人になった時の、どうしようもない空しさのように。
守れば守るほど、攻撃したくなる。
自分が意識しているかどうかに関わらず。
自分を守っているんだ。ただ。
だから、間接的にでも、誰かを攻撃してしまう。
問題というのは、グラデーションだ。
どんな問題であろうと、100パーセントで特定の人が悪いということはありえない。
逆に言えば、自分を悪者にすることで、問題から目を背けているとも言える。
わかる。とてもよくわかる。
問題を直視するのが怖い。向き合うのが怖い。否定されるのが怖い。
結局、怖い。
言い換えれば、楽なんだ。
楽な方に流れる、それが人間なんだもん。
仕方ないよね。
でもそれが楽がどうかを決めてきたのは、あなたがどんな道を歩んできたのかと同義で。
戦略的にそのやり方が、あなたを一番守ってくれるやり方だったってことでしかない。
そういう風に生きるしかなかったんだ。
それが生存戦略だった。それだけ。
何度も言うけれど、問題というのはグラデーションだ。
いままで自分に向けていた罪の刃の矛先は、あなただけに向くものではない。
だから、自分のことはちょっと甘い判定くらいでいい。許してあげていい。
そうすることで、罪の猶予ができる。余白ができる。
その余白を、ちょっとの愛と一緒に、ほかにひとに与えてあげよう。
それが、新しい生存戦略。