9つのものを一瞬で9つだと認識する文化があるのは面白いですね。
オーストラリアに住んでしばらく経つ。そして毎日のようにここは多文化国家だなあと思う。いろんな場面で日本との違いに出くわすからだ。
「RENCLUB」というのが俺が主宰する書道会の名前だが、毎年地元チャツウッドの総合文化施設内にあるギャラリーで会員展を行う。今年も先日終わったばかりだ。
このアートギャラリーはレンタル制で、持ち主である市の審査さえ通ればどの国籍の人が使ってもいい。だから色々なアート展を見ることができる。
ギャラリーには1冊のノートが置かれている。ノートといってもA3判の年間スケジュール帳で、見開きで一週間、展示会を開いた者がその日の来客数をチェックしていくものだ。任意ではあるが、次回の審査のことを考えると強制性を含んでいるとも言えなくもない。
何のコメントもない、事件も問題も意見もそんなものは一切書かれていない、ただ来客人数を数えた跡が残るだけのノートである。なのではあるが、これが実に興味深いのである。オーストラリアならではと言っていい文化模様がそこには存在する。
集計を出すときの蓄積されていく数を数える方法というのか、何かもっとうまい言い回しがあるのだと思うが、世界にはいくつかの表記方法があることに気づかされる。
日本では学級委員の選挙なんかで数を数えるときなどに「正」の字を使う。ドラマや漫画でも同じだからこれが日本全国一般的だと思っていいと思う。
それに対し、オーストラリアでは4本縦棒をひいて斜め線でしめるスタイルである。きっちり斜めじゃなくて串刺しのようなものもあるが、しめたいという気持ちは同じなのだろう。
イギリス生活の長い友人によると、イギリスでもこの縦線4本を斜め線もしくは横線一本でしめるスタイルらしい。
どこの国かは分からないが9本縦線を引いてるのもある。しかしこれはいくらなんでも数えにくいのではないか、と思えてしまう。日本人の俺にはそう思える。視覚的に一瞬で「9」を把握できないからだ。
でも日本人だからそう思うのであって、世界中のすべての国と地域の人がそうとは限らない。9本をすんなり捉えられる育ち方をした、そういう文化で育った人々もいるのだろう。この数えにくい9本の線の向こうにどんな文化的背景があるのかちょっと興味が湧かないだろうか?
ちなみに、と偉そうに知ったかぶりをして申し訳ないが、漢字だと縦線4本を横線で串刺しにしたものは「四十」と読む。縦線と横線が一本ずつだと「十」なのは皆さんご存知の通りで、縦線が二本だと「二十」三本だと「三十」を示す。ただ漢字の場合は横線を先に書くところが違う。
串刺しにされた四本の縦線が沢山あるのを昔の漢字文化圏の人が発見したら、どうして「40」がこんなにたくさん書かれているのだろう、とその意図を探るのに苦労するはずである。その場面を思い浮かべるとなんだかクスッとしてしまう。
ちなみに、で申し訳ないが日本では昔「玉」を使っていたらしい。伝統文化を大切にするRENCLUBではこのノートには「玉」を使っている。
ちなみに玉の点は最後に打つんだよ。