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差別は無くならない。 理想を言うのは簡単だが、現実との折り合いを付けていかないと 繊細な心が壊れてしまう。
今日は5月12日。
カレンダーにイニシャルの書き込みがあるのだが全く記憶に無い。
それが表すだろうものをあれこれ考えてみるけど、一向に思い当たらず。
ただ俺の筆跡ではある。
好きな人の誕生日ならもっと分かりやすく書くだろうし、そもそも忘れない。イニシャルだけなんて仕事関係ではない。
DAIGOさんは全部イニシャルにしてしまって、いちいち詳細を覚えていられるのかな、などとどうでもいいことまで考えてしまう。
何といえばいいのかな。
ドラマや映画で出てくる、例えば関ヶ原の戦の後のシーン。
各所で折れた幟や弓矢が地面に刺さり、小火があがり、たくさんの兵士が倒れて死んでいる。そんな感じで脳内の自分の脳細胞があまた死んでいってるイメージ。
恐ろしすぎる。
脳の脳細胞はどんどん死滅していっている中、能力の能はどうなんだろう。
能のほうは死なないんだろうか。
『能ある鷹は爪隠す』って言うけれど、一体どのタイミングでその爪を出すべきなのか、誰も教えてくれはしない。このまま出さずじまいって事態も有り得る。
そもそも「能」が本当にあるのかどうか、その前に誰かにきちんと教えてもらうべきなのか…。自分だけ信じている、っていうのも、何だかとても哀しい人生だ。
恐ろしい。恐ろしすぎる。
さて、話題を変えてバスの話。
シドニーではバスを降りるときに、客が運転手に「Thank you~」ってお礼を言う。とてもいい習慣だ。
後ろのドアから降りるときにも大きな声で「Thank you!」なんつって下車していく。ちょい悪ボーズとかもそうしたりするのだ。ああ、なんかいいなあ、って思うんですよね。
俺が乗った次の停留所で小さい女の子の手を引いたオージーのお母さんが降りた。「Thank you very much!」と言う若いお母さんに「Thank you. Have a goo day! 」とオージーの運転手。微笑ましく温かい光景。心穏やかに1日が送れそうな気がする。
数分後にChatswoodに到着。
チャイニーズのおじいさんが「Thank you」と言って降りようとする。運転手は無視。オレも「Thank you」と言って降りようとする。運転手は無視。
なんだよ、もう。
まあしかしこういう差別ってどこにでも転がってる。
折角のいい気分が台無し。
日本にいれば受けないような謂れのない差別もある。ないことはない。
それをある程度受け入れないと現実的に生活できない。いちいち目くじらを立ててもどうしようもないからだ。
差別は無くならない。
理想を言うのは簡単だが、現実との折り合いを付けていかないと
繊細な心が壊れてしまうんだよなあ。
脳細胞は死んじゃうし、差別は受けるし。
でも朝のコーヒーは旨かった。
プラスマイナスはゼロなのかなあ。
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