コピーがあるということは東アジア共通の味覚だということなのだろう。
海外で生活をしていると日本の食べ物が恋しくなる。
シドニーなんかは、日本人の数もある程度いるので、日本の食べ物は金さえ払えば比較的手に入りやすいと思う。
似非が重宝する時もある。
シティにはチャイナタウンがあるし、中国人、韓国人の居住者は日本人より断然多い。だから食料品店も沢山ある。そこにコピー商品が売っている。
コピーがあるということは東アジア共通の味覚だということなのだろう。
「かっぱえびせん」なんかは韓国製でも中国製でもコピー商品がある。味には多少違いがあるが、安く手に入るし、気はまぎれるから悪くない。
「きのこの山」や「ポッキー」「とんがりコーン」「チョコパイ」などコピーは多い。
「卵ボーロ」のコピーもある。
「卵ボーロ」は人生通しての好物で、よく食べる。
あれを幼児だけの食べ物にしておくのは罪だと思う。
ただ、この間、人から頂いて日本製の「卵ボーロ」を食べる機会があったのだが、膝をつく思いがした。やっぱり全然モノが違う。美味すぎる。一袋ペロッと食べてしまった。
ただ、ここで考えなくてはいけないのは、それをして製品の質とするのは安易だという事だ。その考えの裏に、無意識の日本優位感がありはしないか、冷静に判断したほうが賢明だと思っている。
各国ともそれぞれの食文化があり、好みの味がある。つまり、コピーするにしても、自分たちが好きな味に寄せていくことは当然考えられる。
日本人が日本の物を美味いと感じるのは当たり前のことだし、他国の人の舌に寄せた味をイマイチだと感じてしまうのもまた当たり前だ。
と、俺が他国のコピー商品の弁明をするのもなんだか変だな。コピーを奨励しているわけでは決してないので誤解のないようにお願いしたい。
ただ、どういうわけか、「厚焼きせんべい」はまったく姿を見かけない。
薄焼き煎餅はある。
でも薄焼きではなく、厚焼きが食べたいのだ。
醤油で海苔を巻いたやつとか、胡麻とか。
コピーがないということは東アジア共通の味覚ではないということなのだろう。
うーん、何故だろう。
とても残念だ。