🎵【聴くクラシック音楽入門】Vol.18~ヴィヴァルディのお話し~
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アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(1678年3月4日 - 1741年7月28日)
ヴェネツィア出身のバロック音楽後期の作曲家。
《職業》
ヴァイオリニスト、音楽教師、カトリック教会の司祭、興行師、劇場支配人。
《生涯》
理髪師兼町医者兼ヴァイオリニストの父親からヴァイオリンを学ぶ。
10歳より教会附属の学校に入る。
25歳で司祭になった。赤毛であったことから、「赤毛の司祭」と呼ばれるようになった。
ピエタ慈善院付属音楽院で教えるようになり、やがて演奏旅行で各地をまわるようになり、ウィーンで亡くなる。
《略歴》
1.音楽院の教師としての活動(1703年から1713年)
2.オペラ作曲家としての活動(1713年から1723年)
3.人気と円熟期(1723年から1740年)
1724年頃に『四季』を含むヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』が「作品8」として出版された。
司祭となった1703年作曲の「12のトリオソナタ集」Op1-1
オペラ「テンペのドリッラ」
3幕から成る英雄=牧歌的メロドラマ
台本:アントニオ・マリア・ルッキーニ、ヴェネツィア、1734年
序曲と幕開け合唱に《四季》の春が出てきます。
ヴィヴァルディが作曲した代表作は《四季》。
皆様もどこかで聴いたことがある曲かと思います。
この曲は、ヴァイオリン協奏曲になります。
ヴィヴァルディは生涯で600を超える協奏曲を作り、さらに52のオペラ作品があります。
多作だったヴィヴァルディですが、バロック時代は、「後世に作品を残す」という意識がなかった為、作品は作曲家が亡くなるとともに消えるのが普通でした。そのため、まだまだ全貌は明らかではありません。
四季は、有名な曲ですが、作曲されたのは1720年頃とされており、ヴィヴァルディが1741年に亡くなると忘れられていました。この曲が発見されて演奏するようになるのは、20世紀後半。250年も忘れられていましたが、楽譜が「発見」されたというのは、とても幸運だった事と言えます。
さて、当時ヴェネツィアには身寄りのない子達を育てる4つの慈善施設がありました。
その中の一つ、ヴィヴァルディが働いていた「ピエタ慈善院」では、男の子は船大工、石工などの職業訓練で社会に出て、女の子は刺繍やお針子などの職業訓練があり、結婚しない限りは生涯この慈善院で過ごす仕組みでした。
付属音楽院が設けられ、声の美しさや音楽の素質がある子には、専門教育が施され、「合奏・合唱の娘たち」として演奏活動をしました。
この演奏会は人気があり、ヴィヴァルディが指導するようになると、レベルが上がり、その演奏会もますます人気が高まりました。
ヴィヴァルディの600余りの作品のほとんどは、このピエタ慈善院音楽院の演奏会の為に作られたものでした。
ピエタ慈善院を舞台にしてヴィヴァルディが出てくる小説『ピエタ』(大島真寿美・著 )は、この時代の雰囲気もわかる小説です。
さて、代表作である「四季」。
こんなにも有名で、よく聴かれているのは日本だけとも言われておりますが、春夏秋冬を音楽で描いただけではありません。
各季節ごとに作者不詳のソネット(14行で構成される定型詩)があります。この詩を音楽にしたのです。とはいっても、「詩」に曲を付けた「歌」ではなく、文学作品のように情景やイメージ、気分や雰囲気といったものを描写した器楽曲です。
この「標題音楽」はロマン派音楽が始まってから本格化します。
それをヴィヴァルディは200年以上前に手掛けていた作曲家でもあります。
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