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「声を上げても何も変わらない」という徒労感

 ある安全保障関連の講演会に出向いた際の質疑応答でのシーンが印象に残っている。

 「わたしは未来の子どもたちに良い世の中を残したい。戦争など起こすような社会にはしたくないと思って日々ニュースを見たり、行動したりしているけれどちっとも世の中良くならない。これをどのように考えればよいか」との質問を70代くらいのご婦人がたどたどしく述べた。質問を受けた講演者のジャーナリストの方は、「わたしは、ジャーナリストとして伝えるべきことを伝えていくしかない」と答えた。

 やり取りで感じ取られたのは、「声を上げても何も変わらない」という徒労感だった。

 沖縄の辺野古だって、南西諸島の要塞化の問題だって、ALPS処理水の海洋放出だって、明治神宮外苑樹木伐採だって何だって、どんなに市民が声を上げたって、“粛々”と事は進められていく。政治家は嘘ばかりついている。悪法もどんどん成立していく。差別もなくならない。
 ウクライナやパレスチナで現に今、人々が殺されていくというのに、これを停められないなんて。もう、人類にうんざりだ。

 無力さに呆然としてし、徒労感に押しつぶされてしまいそうになる気持ちはとてもよく分かる。

 ただ、わたしはこのご婦人にこう声をかけたいと思った。

「種を撒かなければ、花は咲くことはない。

 だれかが、種を撒かなければ、花が咲くことは、決してない。

 撒いた種は、芽が出ないかもしれない。出たとしても少しかもしれない。出た芽は、弱々しくて大きく成長できないかもしれない。花を咲かすに至らないかもしれない。きっとその方が多いのだろう。

 しかし、花は咲かなくても種を撒いている人を見ている人がいる。見ている人は、それなら自分も撒いてみようかと思うかもしれない。種の数は少しずつ増えていくかもしれない。

 意思は繋がれ、その想いは永遠となる。

 少なくとも、わたしは今日この場で未来の子どもたちを想う人生の先輩がいて下さることに心を打たれたし、その想いを少しだけでも繋げたいと思った。だから、どうか悲しまないでください」と。

 これは社会現象にもなったアニメ『鬼滅の刃』から学んだ考え方なのだけれど。柱稽古編のラストシーン、館様・産屋敷耀哉が妬み、嫉み、憎しみを栄養源に花を枯らし、奪う、ラスボス・鬼舞辻無惨にかける言葉。主題歌もアニメの趣旨内容を踏まえていて、痺れる。この思考は、わたしを少し強くした。

 ベランダで花や野菜を育てている経験も役に立った。いろいろと面倒なことも多いけれど、花が咲くときを待ちながら種を撒くことはとても楽しい。種を撒く人が増えるといいなと思う。

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