アンジェイ・ワイダ 『灰とダイヤモンド』
昨日12月11日(木)は、アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』(1958)を観に国立映画アーカイブへ。
映画史上、燦然と輝く名作中の名作。集まったシネフィルたちの静かな熱気がすごいの何の。会場はほぼ満席。
ポーランドの苦難の時代を生きた者の使命であるとして、それを表現し続けたワイダは、とくに若者の苦悩に焦点を当てた。
ソ連の検閲という縛りがあったが由に、象徴性を帯び、詩的に輝く。すべてのシーンが愛おしく美しい。
例えば、ウォッカを注いだグラスに反政府組織の仲間の名を呼びながら火を灯す有名なシーン。灯された火は、ポーランドの伝統「死者の炎」(日本の灯篭流しのようなもの)の象徴であり、戦争で亡くなった同志たちへの鎮魂である。
主人公は、反共産主義テロリスト・マーチェク。共産主義者シチェクの暗殺を計画する中、はじめて本当の恋を知る。テロリストとして生きる自我と、好きな女性と普通の若者として想いを遂げたいとするそれの葛藤。恋人クリスティーナは、マーチェクに心惹かれながら「あなたは去っていく人」と喪失の怯えから逃れられない。
マーチェクがシュチカを撃つシーンでは、最後に二人は抱き合う。シュチカは命を落とし、マーチェクも間もなくゴミ山の中で悶え息絶える。戦争という運命で対立した2人は、本来ポーランドというひとつの国の者なのだ。
ワイダは、本当の悲劇は善と悪の対立から起こるのでなく、善と善の対立から生まれると語っている。
上映後の講演でラファウ・シスカ氏(ヤギェロン大学視聴覚芸術研究所准教授)は、『灰とダイヤモンド』は時代を超えて不変であり、世界中のどの国の人が観ても心を動かすと語った。
“Ashes and Ⅾiamond”‐not about the past ,but about contemporary times
立ち寄った教会で、マーチェクとクリスティーナが読み上げるノルヴィドの弔詩をここに書き留めておこう。
「松明のごとく
われの身より火花の飛び散るとき われ知らずや
わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
持てるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、嵐のごとき深淵に落ちゆく混迷なるのみを
永遠の勝利の暁に、灰の底深く
燦然たるダイヤモンドの残らんことを」 「舞台裏にて」
上映後は、今夜はもちろんウォッカだよね、ということで。
映画特集は12月26日(木)まで。