芹沢鴨

霜雪に 色よく花の魁て 散りても後に 匂う梅が香

新選組局長 芹沢鴨

玉造勢(のちの水戸天狗党)幹部として攘夷活動中に投獄、獄中で小指を食いちぎり、血で書きつけたこの句を牢の格子に貼ったとされている。周知の通り、彼は1863年(文久3)9月18日夜、島原での宴会の後、屯所である八木邸において新選組近藤一派の手によって暗殺された。

管見の限り、インターネット上で芹沢鴨の半生について様々な記述がみられるが、一次史料を提示・論拠としているものはないように思う(御存知の方はご教示下さい)。彼の出生年、出自、幕府募集の浪士組に入るまでの経歴等については未だ不明な点が多く、今後の研究が望まれる。


いいなと思ったら応援しよう!