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「死ぬこと」も「生きること」も同じ次元のことなのだろうか?ー関係性を途絶えさせない、目には見えない無数の糸についてー

「人間の目に見えないものはたくさんある。僕は物理学を学んでいたからか、すぐに思いつく「目に見えないもの」は、『電磁場』とか『重力場』とかだ。

磁石が引き合うとき僕の目には見えない『電磁場』という場を介して、磁石は互いに情報を交換し『引き付け合う』もしくは『斥け合う』という応答を示す。

僕たち人間は地球から重力を感じている。全ての質量を持つものが織りなす
『重力場』という場も、僕の目にはもちろん見えないし、僕と地球を結びつける『糸』を見つけることも僕にはできない

この世界の多くのものは、『目に見えない糸』で結びついている

それは例にあげた電磁気力や重力もそうだし、心の通った仲の良い友人とも、いつも言葉を交わす家族ともそうなのだろう

僕たちの体だって、体の部分部分が骨や血管によってつながり合うことで、個体を維持している

さらにミクロに見ると、僕の体を構成する原子の、原子核とその周りを回る電子を結びつけるものが存在しその原子一つひとつを結びつける見えない糸が存在する

人間の体にはそんな見えない糸がたくさん巻きついているのだろう

人間には見えない『縁』の糸

だいぶ前だけど『塩田千春展:魂がふるえる』に行ってきた

彼女の作品から僕にはもう見えなくなってしまっていた様々な糸を感じることができた

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手のひらから伸びるたくさんの糸。
僕はこれまで手を繋いだ人と、何らかの系で結ばれるのだろうか?

近くで言葉を交わした人と何らかの糸で手と手が、そして心と心が結ばれるのだろうか?

僕は他者と見えない糸で結ばれているのかもしれない。

もちろん、それぞれの糸は時期によって緩んだり、ピンとはったり、ちぎれそうなほどすり減ってしまったりはするのだろう。でも覚えていれば薄く長く、人は繋がったままでいることができる。
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『まるで私の中の心の宇宙と外の宇宙を繋ぐように、糸は絡まり、時にピンんと張り詰める。その関係性はいつまでも途絶えることはない』ー塩田千春

ものと人を結びつけている目に見えない『糸』

これもすごくまえだが、ヨコハマトリエンナーレに行ってきた

そこでも僕には見えなくなってしまった『糸』をみた

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これらは至って普通の『もの』だ。それになんだかひかる糸がまとわりついているが、当然ながらそんな糸は僕には見えない。

でももしかしたら、いろんなものにも、そのものにとって特に重要な『糸』があるのかもしれない。

それはそれを使った誰かと繋がっていた糸なのかもしれないし、構造上失ってはいけない部分なのかもしれない

僕の目にはそんなものは見えない。でも確かにそこにはその『もの』が何かと、もしくは誰かと繋がった痕跡としての『糸』は、あるのだろう

そんな糸を感じることがきた作品群だった。

僕は毎日使っているボールペンがある。
僕とこのボールペンは目に見えない絆の糸で結ばれていて、僕が死んだらその糸は切れてこんなふうに『光る糸』としてこのボールペンに絡み続けるのだろうか?

生命の痕跡の『糸』

全ての生命はいつか死を迎える
『死』とは不思議なものだが、『個体』の永続的な存続ではなく『種』の永続的な存続のために、個体の死は必要なのだろう。環境に適応するために個体は生まれ変わり続けなければならないからだ。

僕たちは死んだら『何もなくなる』。だから死ぬのは恐ろしいことだと感じる
しかし本当に死を迎えたら生命は『何もなくなるの』のだろうか?

ここで、先の塩田千春さんの個展の中でみた死の捉え方を引用する

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『人間の命は寿命を終えたらこの宇宙に溶け込んでいくのかもしれない。もしかしたら死は無と化すことではなく、何かに溶け込んでいく現象にすぎないのかもしれない。生から死へ、消滅するのではなく、より広大なものへ溶け込んでいく。
そう考えれば、私はもうこれ以上死に対して恐れを持つ必要がない。
死ぬことも生きることも同じ次元のことなのだ』
塩田千春

死とともに生命の存在は完全に忘れ去れるわけではない。
僕は今日も死んだおばあちゃん、おじいちゃん、昔買っていたペットを鮮明に思い出すことができる。

僕はニュートンの力学を学びながら科学の躍進をもたらした『アイザック・ニュートン』という人間の存在を、思い出すことができる

もちろんみんな、今はもう生きていない。しかし僕は彼ら/彼女らと『糸』で結ばれている

死とはこの世界を包み込んでいる、膨大な糸の結びつきという流れの中に完全に身を任せることなのだろうか?誰かがその糸の存在を感じている限り僕たちは死なないのだろうか?

そしてもし誰も僕のことを覚えていないとしても、僕が使ったボールペンが家のどこかにある限り、そこで僕は光る糸として『生きている』のだろうか?

そう思うことができれば『死』を恐れることはなくなるのだろうか?
なぜならその知覚世界では、生と死は同じ次元なのだから。

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今日は朝からめまいがして、ずっと気持ち悪くて不安でした。
死を想像するのは、すごく怖いことです。
死の概念を変えたいのは、その恐怖から少し気を楽にしたいだけなのかも。
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