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無機質な部屋のベッドで何を思ふ、

「」


今のかかりつけ精神科の初診からそろそろ8年半になる。中2の9月、年齢にして13歳から。受診や入退院を繰り返しながら、もう22歳

紆余曲折ありながらも、様々な経験や感性や有り難いことにご縁があり巡り会えた優しく温かい友達や医療者や支援者と生きている

もちろん対人関係や医療者との間で様々なトラブルというのもあった

ここ数年入院している病棟ではないのだが以前入院していた病棟では度々精神科においての隔離室として扱われている『保護室』にいたこともあった。詳しいことは伏せるのだが自他の危険が確認された場合や安全確保としてやむを得ず専用のベルトを使用し一時的にベット上から身動きが取れない安全確保としての『身体的拘束』の行動制限になった経験も何回かある

身体拘束や精神科の閉鎖病棟や隔離室などにあまり良いイメージは正直ないであろう。事実様々な問題や事件、人権に関わることから訴訟問題にもなることも多いからだ。まあ、確かにされて嬉しいことではないのは確かで、身動きがとれない上にトイレにすら自由に行けないし、寝返りも自由にできないことに楽しさを感じないのは言うまでもない

保護室もその病院や病棟の築年数やデザインにもよるので一概に世の精神科病棟の保護室すべてが鉄格子などの牢獄のような病室ではない私物の持ち込みが制限され、寝床とトイレしかない無機質で孤独かつ世の中のみならず病棟内の疎外感を感じる部屋の天井を見上げている時間は精神科としての物理的な延命措置であるが心身ともに「生かされている」という言葉がふさわしく、その感覚とともにその行動制限という現実に直面し「ここまでして生きる理由」を問いたくなる時間である

ベッド(もしくは布団)と気持ち程度のすりガラスのトイレが見える部屋は時間がゆっくりに、2分が体感10分に感じるくらいの時間の進みはより虚しさを痛感する

私は身体拘束をされているときはあまりにもやることがないので気づいたら眠っている事が多く、睡眠時間は充分すぎるくらいの睡眠を得るが、まあそのタイプはレアケースで大抵の人は身体拘束のストレスや苦痛、物理的に身体の動きや寝返りが難しいので不眠がちになる人のほうが多い

無機質な変わり映えの無い部屋で窓の外を眺めるのが精一杯の暇つぶしで紛れない世間から隔離された病棟内の雑踏にすら物理的に紛れることができない孤独さは経験した者にしかわからない

しかしその経験は私にとっても必要な制限であったのを理解しているし、無機質な部屋での時間を経験したからこそ周囲への感謝と同時に人との関わりや対話、つまりは言葉にすることの意味や理由を知ることができたので得るものはあり、気付きや視野が広がった

勿論だがこのような感想は経験談は非常に稀であり、不透明かつ非人道的、不当な行動制限には憤りや不満は出てしまう。だが必要な、然るべきときに行なうのには同意しているし必要性もわかっていて、今の主治医との入院時の方針でもあるので私には結果として良い学びもあった、あくまで私の場合に過ぎないことをご理解いただきたい


「 無 」で引き出す人間の心理とは奥深い


by。いろどり