雲_夢

子育ては、原則に基づいて行われる変化するプロセス。 親はどう柔軟に対応する? 自問自答して思いついたことを掘り下げて見る。 書き出す話し出す事は、自己癒しの一つ。 ノートを始まったきっかけの一つでもある。 心から考え変える事は 自己の理解が深まる。 批判的思考と実践。

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子育ては、原則に基づいて行われる変化するプロセス。 親はどう柔軟に対応する? 自問自答して思いついたことを掘り下げて見る。 書き出す話し出す事は、自己癒しの一つ。 ノートを始まったきっかけの一つでもある。 心から考え変える事は 自己の理解が深まる。 批判的思考と実践。

最近の記事

『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑭:読書と講演会、解読力と認知の拡大

王陽明(1472年 - 1529年)は、 中国明代の儒学者であり、その思想の中で特に重要な概念の一つが「知行合一」です。 知行合一は、知識と行動が一体であるという意味です。 王陽明は、意識、思考、言語、行動を通じて「知行合一」を実現することを説いています。 しかし、「知行合一」を実現することは決して容易ではありません。 良心に従って話し、良心に従って行動し、「致良知」を実現するためには、代償を払う勇気が必要です。高いコストが伴います。 知行合一の基本概念 ○ 知識と行

    • 『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑬:読書と講演会、解読力と認知の拡大

      『伝習録』での知行合一。 王陽明と弟子たちは対話を通じて、知行合一が実践によって真の知識が得られることや、理論と実践が結びつくことだけでなく、感知と反応が統一されることであると結論づけました。 多くの人が明らかな理論を知っていながら生活がうまくいかないことがあります。これに対して王陽明は、「未有知而不行者、知而不行、只是未知」と述べました。 これは、「知っているのにできないことは、知らないことと同じ」という意味で、本当に何が良いか、善であるかを理解した者は、必ず行動に移すだろ

      • 『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑫:読書と講演会、解読力と認知の拡大

        王陽明は 「心の中にある良知が聖であり、聖人の学びはその良知に至ることだけである」 と述べました。 良知に至るということは、、自分の心に対して努力する意志を持って、自分の心を清らかに保つ努力をすることだと受け取ることができます。 『伝習録』では、 良知とは人間が本来もっている判断能力であり、善と悪を知ることです。 良知は天理の明らかな意識の部分であり、天然自然の道理、人為でない天の正しい道理です。 つまり、 何が善で何が悪かを知っている人が良知を持つ人です。 では致良知とは

        • 『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑪:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』の中の王陽明と徐愛の一問一答を見ると、 心学は、王陽明の生の概念の解析ではなく、生を体得し悟ることだと理解できます。 それは、能見(のうけん)※1を育むことであり、所見(しょけん)※2の説明ではないのです。 心が正しく育てば、曲がったり歪んだりしないと解釈できます。 ※1:能見とは、直感や洞察力。物事の本質を見抜く能力や、深い理解を得ることができる能力を指します。 ※2:所見とは、物事を見ること、理解すること、認識すること。観察や経験に基づいて形成された見解や認識

        • 『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑭:読書と講演会、解読力と認知の拡大

        • 『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑬:読書と講演会、解読力と認知の拡大

        • 『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑫:読書と講演会、解読力と認知の拡大

        • 『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑪:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る➉:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          心学の修行の行いは? 徐愛は、王陽明の弟子、中国明代の陽明学者です。 徐愛(じょ あい)は王陽明に質問しました。 「もしあなたの言うように、“心即理”であり、修行は心にだけ行うべきなら、多くの外在的な規則や知識は学ぶ必要がないのでしょうか?例えば、父を敬うこと、君主に忠義を尽くすこと、友人と誠実に交わること、民を治めることなど、これらには多くの道理や方法、道具があります。これらを学ばないわけにはいかないのではないでしょうか?」 王陽明の答えはこうでした。 「もし純粋な天理の

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る➉:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑨:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          王陽明は「龍場の頓悟(とんご)」後、 天理に対して「天理即是明德、窮理即是明明德」と新しい理解を得ました。「明德」は、私たちが言う心の本体であり、生まれながらに持っている、一切の汚れのない心です。 「明明德」の最初の「明」は「磨き上げる」という意味であり、生まれながらに持っているその心を磨き上げ、外部の汚染から守り、善良な人の心、本来の姿を失わない心に保つことです。 聖人というのは 天下に明徳を広めることであり、天下の人々に一連の法則や堅苦しい規定を守らせることではありませ

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑨:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑧:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          龍場での頓悟の後、 王陽明は「格物」の概念に新たな理解を得ました。 「身心修行」、すなわち精神と肉体を鍛える能力であり、心身を浄化する行為だと考えました。 つまり、私たちの心には本来の姿があり、これを「本体」と呼びます。どんな人であれ、心の中には生まれつき愛の能力があります。その上に覆いかぶさっている枝葉や汚れ、遮っているものをすべて取り除き、邪なものをすべて取り去ることで、私たちの心の本来の姿を取り戻し、愛の本来の姿を見出すことができるのです。 例えば、 小さな子供が井戸に

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑧:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑦:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』の上巻。 少年時代の王陽明も、教えを学ばなければなりませんでした。 当時一緒に朱熹の教えを学んでいた同級生たちは、これらの教えを試験対策に使うだけで満足していましたが、王陽明はそうは考えませんでした。彼が望んでいるのは聖人の教えを真に理解することであり、彼はこの言葉に多くの疑問を抱いていました。 何年も後に、王陽明が学生たちと話をしているとき、彼はその当時の経験について語りました。「皆は『格物』という言葉を理解しようとし、考え、深く思索するが、本当に格物を実践した人

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑦:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑥:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          王陽明の心学を追随する人々の中には、有名な成功者が多くいます。 「心学が成功者を育成できるのなら、心学は成功学ではないか?」と思われることも考えられます。 『伝習録』を見ると、心学は成功学ではなく、その理論を完全に理解しても、必ずしも成功や名声を保証するものではありません。 また、 心学は神学や仏教とは異なり、信仰を基盤とするものではありません。 心学は信仰や宗教的な信条に基づくものではなく、人間の心理や倫理に関する客観的な研究や実践に焦点を当てています。 心学を学ぶのは

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑥:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑤:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          王陽明の見解では、 人生において最も重要なのは、第一に独立した精神、第二には寛容な幸福感です。 彼は、両方を兼ね備えた人は極めて少なく、両方もを持たない人もいると述べています。 もし私たちの内なる心が常に外部のものに注目し、絶えず移り変わり、変化し続けるならば、必然的に疲れ果てるでしょう。 その為、 王陽明は「あなたの態度があなたの世界を決定する」と伝えたかったのです。 これが『伝習録』(でんしゅうろく)の中で最も重要ないくつかの解説です。 王陽明の心学を一言で言えば、 「

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑤:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る④:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          王陽明は龍場悟道(りゅうじょうごどう)の後、 「天下のものは本来、格付け可能なものはない。その格物(※1)の功(※2)は、身心にのみ行われる」と述べました。 王陽明は、「世界のすべての事物は本来、善悪の区別がありません。本当に格付けできるものは、物事そのものではなく、自分自身の身心に時間と労力を掛けるべきである」ことを強調しています。私達が自分の心の本質が本来聖人の体であることを理解し、心に格物の功を用いて努力すると、聖人の境地に達することができ、志向と責任を持つことができる

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る④:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る③:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)には、 心即理(しんそくり)、致良知(ちりょうち)、知行合一(ちこうごういつ)の三綱領(こうりょう)を中心に陽明学の大要が記されています。 王陽明の人生は波乱万丈であり、文武両道(ぶんぶりょうどう)に優れ、中国の歴史において特異な地位にあり、偉大な功績を残した人物です。 「三不朽第一の完人(※1)」と称される、歴史上まれな人物です。 ※1:「完人」とは、 一生を通じてあらゆる面で極致に達し、完璧な境地に到達した人です。 王陽明の龍場の頓悟(と

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る③:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る②:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)は、 中国明代(みんだい)の王陽明(おうようめい)の 語録(ごろく:学説・教理に関する言葉を記録したもの)で、 陽明学の入門書です。 王陽明の弟子が彼の死後にまとめたものです。 心即理(しんそくり)、致良知(ちりょうち)、知行合一(ちこうごういつ)の 三綱領(こうりょう)を中心に陽明学の大要が記されています。 王陽明(おう ようめい、1472~1529)は、 中国明代の儒学者・政治家・教育者・高級官僚で、 陽明学(ようめいがく)の元祖として知られ

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る②:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る①:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          物是人非(ぶつぜ-じんぴ)という四字熟語があります。 字面の意味は、 「物は変わらないが、人は変わってしまった」という事を表しています。 つまり、 風景や物事は変わらずに残っているものの、 それを取り巻く人々や状況が大きく変化してしまった状況を指しています。 人の感情や考え方、行動パターンは常に変化しています。 絶えず変わる心の中で、 自己を見失わずに、自己と他者との調和を大切にしながら、 成長と幸福を追求することが重要です。 『伝習録』(でんしゅうろく)には、 王陽明

          『伝習録』(でんしゅうろく)を知る①:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          心学と『伝習録』(でんしゅうろく):読書と講演会、解読力と認知の拡大

          『伝習録』(でんしゅうろく)は、 中国の明(みん)時代に(1368年から1644年まで) 王陽明(おうようめい)が著した儒学の教えである陽明学の入門書で、 王陽明の言行録でもあります。 陽明学(ようめいがく)は、 人は生来備えている良知(是非・善悪・正邪の判断力)を養って、 知識と実践とを一体化すべきだとする学説です。 一言で言えば「自らの良心に従って行動せよ」ということになります。 王陽明が弟子に授けた4句の教訓:四言教(しげんきょう) 「無善無悪が心の体。  有善有悪

          心学と『伝習録』(でんしゅうろく):読書と講演会、解読力と認知の拡大

          詩歌と子育て:読書と講演会、解読力と認知の拡大

          「詩歌」は「しか」または「しいか」と読み、 漢詩と和歌や、和歌・俳句・詩などの韻文の総称です。 「詩」とは、 心に感じたことを一定のリズムと形式にあてはめ、言葉で表したものです。 詩歌は、 言葉の美しさや表現力を伝える手段として、 子供たちの言語能力や感情表現力を向上させ、 自分の内面を表現する能力を発展させることができます。 また、詩歌の言葉やリズムは、 子供たちの想像力や創造性を刺激し、 子供達の豊かな想像力を喚起し、物事を異なる視点から見る事を促します。 さらに、

          詩歌と子育て:読書と講演会、解読力と認知の拡大