『伝習録』(でんしゅうろく)を知る⑫:読書と講演会、解読力と認知の拡大
王陽明は
「心の中にある良知が聖であり、聖人の学びはその良知に至ることだけである」
と述べました。
良知に至るということは、、自分の心に対して努力する意志を持って、自分の心を清らかに保つ努力をすることだと受け取ることができます。
『伝習録』では、
良知とは人間が本来もっている判断能力であり、善と悪を知ることです。
良知は天理の明らかな意識の部分であり、天然自然の道理、人為でない天の正しい道理です。
つまり、
何が善で何が悪かを知っている人が良知を持つ人です。
では致良知とは、
知識や情報を学び、人の心を感化し、心を清らかに保つことを意味します。
王陽明が致良知の概念を提唱したのは50歳の時です。
これは孔子が「論語」の「学而」で述べた「五十にして天命を知る」の時期にあたります。
王陽明は、天理は外在の規則ではなく、心の明澈(めいてつ)であると説きました。
この見解は「大学」に基づき、朱熹の見解から発展させたものです。
ここで分かるのは、知識は継承されているということです。
王陽明は、強制的に致良知をすることは推奨しません。
できない場合はできないと認めるべきですが、放任することは避けるべきだとしています。
王陽明は、
「今日の良知が見えるのはこのようなものであり、この『見える』とは、理解し得ることを意味します。そして、今日の理解に基づいて、最善を尽くします。明日になれば、新たな良知が開かれ、それに基づいて最善を尽くします。このようにして、日々精進していくのです。」と言っています。
良知は絶えず広がり、認識は絶えず進歩します。
故意に良い行いをするのでもなく、悪い行いをするのでもなく、ただ実直に良知に従って行動することが、良知の核心です。
これを「勿忘勿助(わすれなぐさ)」と言います。
一つの事をやり遂げられなかったり、やり過ぎたりすることは、良知から外れることになります。
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