本の感想29『人間失格』太宰治
この本は俺の中で一二を争う大好きな本。とても一回では紹介しきれないから今後も何回か書くと思う。今回は、『人間失格』から学ぶ「世間」について。
世間=あなた
「常識」「世間」という二つの言葉には、よく考えさせられる。人々はこれらの言葉を実によく使う。言葉自体は批判的なニュアンスをとくに持ってはいない。でも大抵の人はこれらの言葉を、人を批判する場合に使うことが多い。
例えば、「常識的に考えろ」「世間で何を言われるかわからない」こういった風に。この卑劣な行為について思い直させる、『人間失格』の一部を紹介したい。
(それは世間がゆるさない。)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんなことすると、世間からひどい目に逢うぞ。)(世間じゃない。あなたでしょう?)
(今に世間から葬られる。)
(世間じゃない。葬るのはあなたでしょう?)
汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、妖婆性を知れ!…
世間という言葉を使って人を批判する場合、大抵そこにはその人の主観が入り込んでいる。だから、「世間」(あるいは常識)という言葉を使って人を批判するのは卑劣な行為である。
勝手に主語を大きくして、さもこっちが大多数で常識的であるかのような言い草をする。しかもこれには、自分がその人から嫌われたくないという思いが見え隠れする。これは卑怯だ。
もし誰かを批判するなら、「『俺』は良くないと思う」というべきだ。これなら逃げられない。
逆に考えると、世間なんてものを考えて生きる必要はない。もし世間体で悩んでいる人間がいたら安心して欲しい。所詮世間とは個人のことだ。その場その場の勝負なのだ。
とりあえず、寛容な心で人や物事、現状を見る。そして、もしそれでも批判したくなったら、主語を「私」にする。こういう哲学で俺は生きたい。