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お酒メモ7:ワインの歴史

ワインが今のように多くの人に愛され、飲まれるようになるまでには長い歴史がある。要点ごとにまとめたのでそれぞれ見ていきます。

1、メソポタミアの時代から

文献上で一番最初にワインが登場するのは、紀元前2500年ごろに書かれた『ギルガメシュ叙事詩(古代バビロニアの王をたたえた文学的作品)』だと言われている。だから今から4000年以上も前になる。この『ギルガメシュ叙事詩』では、古代民族のシュメール人たちがユーフラテス川のほとりでワインを作っていたことが明らかになっている。

あとはエジプトのピラミッドの壁画にも、ブドウの栽培の様子などが書かれていたりするよ。

2、ローマ帝国の拡大とキリスト教の普及

最初は、神事とかいった宗教を目的として飲まれていたけど、ブドウ栽培やワイン醸造の技術がフェニキア人という人たちによって地中海を渡る。ギリシャ、ローマ、フランスでも広まり、庶民にも飲まれるようになっていった。

特にフランスでは、ローマ帝国の領土拡大とともに広まっていく。現在世界的な名城地のボルドー、ローヌ、ロワーヌなどは、紀元前からローマ人によってワイン造りが行われていたりする。

また、「パンはわが肉、ワインはわが血」というキリスト教の布教と結びつきながら、醸造技術や飲用がヨーロッパ各地へ広がっていった。

3、貴族の保護下で品質向上

今でさえフランスは膨大な領土でワイン造りをしてるけど、なんと中世ではフランス、ドイツで今以上の栽培地があったと言われている。

これはブドウの栽培やワインの醸造が僧院の仕事だったからで、王侯貴族たちがこれを手厚く保護し、さらにワインの品質向上にも正統的に前向きな姿勢で取り組まれていたからという背景がある。

4、「肉は赤、魚は白」は18世紀から

18世紀は美食の時代。ルイ15世のもと料理技術が発達し、上流階級の間で美食文化が高まった。「肉料理には赤ワイン、魚料理には白ワインという」公式があらわれたのもこの時代で、ワインと食事が結びつくようになった。

しかし、フランス革命で上流貴族が衰退、召し使えられていた料理人たちは路頭に迷うことになってしまった。そこで彼らは町にレストランを開き、ここでさらに料理とワインが強く結びつけられた。

5、植民地獲得競争でニューワールドにワインが広まる

17~18世紀は、ヨーロッパの列強が植民地獲得競争に走った時代だった。

そのときに植民地にブドウの苗木も移植されていった。もともとブドウ栽培に適した気候であったアメリカ、チリ、オーストラリア、アルゼンチンなどニューワールドといわれる地域では、その後もワイン造りが発展していって今に至る。

6、日本への伝来は?

ワイン醸造、ブドウ栽培の技術は、シルクロードを通り中国に伝わる。

そして、ブドウは室町から戦国時代に日本にも上陸した。南蛮貿易で輸入されたワインが一部の人々に飲まれていたけど、明治十年ごろには山梨でワイン造りがはじまった。その後は、新潟、長野、北海道など今の有名なところにも広まり、今日の形に至っている。

まとめ感想

かなりざっと見てきてしまったけど、大体こんな流れ。伝統あるワインは、貴族や宗教という強い後ろ盾のもと発展していたなぁ。

やっぱり適した気候もあるから、ワイン造りがもたらされてもその後発展しなかった地域もいっぱいあるんだろうな。

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