真実か虚構か
啓発本は嫌いだけど、評論(論評?)は好き。国語の教科書みたいな。今、『21Lessons(ユヴァル・ノア・ハラリ)』を読んでるんだけど、この本は後者に近いんじゃないかな。世間では前者というかビジネス本の部類にされちゃうみたいだけど。
この人の本は、とにかく1ページが濃い。ハッとさせられっぱなしで楽しい。ひとつ、自分なりにまとめつつみんなに紹介しようと思う。
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宗教や学校、政治は虚構だ。「学校」なるものは、大きな建物が建てられ、教師と呼ばれる人間が数人用意され、一定の生徒が集められ完成する。この学校なるものを「必須の教育の道筋、お手本」としてみんなが認識する。みんながそう思っているから、他のみんなも学校が教育上当たり前のものだと信じる。こうして「学校という虚構の構造」がこの世界に誕生する。よく考えないと、これが人生の中でマストのものではないと気づかない。
さて、俺が今までやっていた「学び」はここで終わっていた。「これこれは虚構だ!」と。お金、学歴、コミュニティなどなど、これらはその人や世界の根本を表しているのではないと。
しかし、この世の「実際」はどうだ。人々は「ドル」を使うとき、「これは他の人が価値があると信じてるからこそ価値がある。本来は紙切れに過ぎない」などとはいちいち考えない。しかもそれをちゃんと理解している人であっても、ドルの札束がぎっしり詰まったケースを生で見れば、脳の興奮を表す部位が活性化するだろう。
あと、ドルが虚構であるからといって、それを使わないことにはいかない。この虚構をつかうことでむしろ、人々は協力する力が増し、経済を豊かにし、生活をより豊かにしていける。虚構の力によって人々はより効率的にまとまっているのだ。宗教や学校や政治もしかり。聖典はただの物語だ。しかしそのたかが物語のおかげで人々は生きる方針が分かり、どう行動すれば良いか悩むことなく、同門と力強い絆を生み出す。
人間という種は、真実よりも力を好む。私たちはこの世を理解しようとすることよりも、支配しようとすることにはるかに多くの時間と努力を投入するし、たとえ世界を理解しようとするときにさえ、たいていはそれによって世界が支配しやすくなることを願ってそうする。
俺の学習は1段階ステージが上がった。
・まずは何かは虚構であると発見すること。(根本を学ぶ)
・人々をまとめ(支配して)、より大きな力を生み出すには虚構は有力であること。虚構を利用すること。
ちょっと疲れててノンストップで書いたから分かりづらい文章になったと思う。ごめん。