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不幸な時だってプライドぐらいある

またまた好きなエッセイ本を見つけた。
きいこさんのこの記事を読んで気になり、教えていただいた。(このきいこさんの記事が大好きで繰り返し読んでいる!)

エッセイ本はこちら。

編み物作家の三國万里子さんは料理家のなかしましほさんのお姉さんだと知り、びっくりした。なかしましほさんの料理本は2冊持っている。バターを使わないお菓子を子どもに作りたくてずっと前に買ったものだった。才能のある姉妹で羨ましい。

このエッセイを読んでいると、小さい頃のこと、学生の頃のこと、自分の過去を自然と思い出して、度々もの思いに耽った。だからなかなか読み進められなかった。吉本ばななさんが帯文に書いてある通り、文章が上手で情景が目に浮かぶ。その雰囲気も世界観もとても好きだと思った。

エッセイの中で小学生の頃、不幸の手紙をもらったというくだりがある。そこで急に昔のある出来事を思い出した。
わたしも社会に出て3年目ぐらいに、チェーンメールをもらったことがあった。不幸の手紙ならぬ、不幸のチェーンメール。

不幸の手紙同様に、7人かそれぐらいの人数に同じ内容のメールを送らないと不幸になる。というメールだった。送られてきたのは10歳歳上の会社の先輩からだった。毎日のように顔を合わせているのに、それは平然と送られてきたのだった。

その頃、父の癌が発覚して、手術して自宅で療養している時だった。会社の同僚には誰にもそのことは話していなかった。同情されるのも辛いし、慰められるのも嫌だったから。でも家では毎日不安で悲しくて、父のことを見ると泣きそうになるのだった。そんな時にきたチェーンメール。
なんと間の悪い。
これを誰かに送らないと不幸になるのか。
もうこんなに不幸なのに?どん底なのに?
もっと不幸なことって何?

父が早めに死んでしまうとか?

胸がズキンとした。
送った先輩はどうしてわたしを選んだのだろう。可愛がって貰えていたと思っていたのに。
わたしが後輩だから?傷つかないと思ったから?ヘラヘラといつも笑って何も考えて無さそうだから?
わたしなら選べない。誰も。
不幸になんてなってほしくない。不幸はわたしだけで十分だ。
送らないとお父さんが?
絶対にありえない。わたしが神様ならそんなことはしない。神様がいればの話だけど。
不幸のわたしにだってプライドがある。送るなんてわたしのプライドが許さない。

わたしはそのメールを削除して、そっとPCを閉じた。

次の日、その先輩とチェーンメールの話は一切せず、普通に会話をした。
どことなく、バツが悪そうな顔をしていたような気がしたが気にしないようにした。

先輩は送ってスッキリしたのだろうか。
本当は送ってしまった方が傷ついたのではないだろうか。
でも送った相手の身内に病気の人がいることまでは想像出来なかったのだろう。
わたしは絶対にそんな想像力のない人にはならないように気をつけようと決心した。

あの時の胸の痛みをこのエッセイを読んで思い出した。
やっぱりチェーンメールを送らないで良かった。弱っている時でも自我を保てていた若い頃のわたしにでかした!と心の中で拍手をした。

三國万里子さんのこの本はこれからも何度となく読み返していこうと思う。



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