結局、自分の好きなことをやってりゃいいのかも
「うわはははは、めっちゃ膨らんでる!!焼けるとこんなに膨らむんだねぇ」
娘のはしゃぐ声と、シフォンケーキの焼けるよい香りが部屋を満たす。
私は、月に1回くらいの頻度で娘とお菓子作りをする。作るものはそのときに食べたいもので、簡単にできるものが多い。
冷凍パイシートを使ってつくるパンプキンパイやアップルパイ。
ふかしてつぶして混ぜて焼くだけの、スイートポテト。
混ぜて焼くだけのパウンドケーキ。iwakiの耐熱保存容器で作れるから、特別な型は持っていない。
プリンもたまーに作るけれど、いつも「す(ぽつぽつとした気泡)」が入ってしまう。
・・・
「ほら、粉こぼさないでって言ったじゃん」
「ちがう、そうじゃなくって、こうやって混ぜるの」
「あぁ~、一気にいれないで少しずつ入れて!」
子どもと一緒にお菓子を作るって、ほほえましい光景を思い浮かべるかもしれない。
けれど実際にはそうはならず、いつもこんな風に小言が炸裂してしまう。
娘が幼稚園のころから、小学生になった今でも。
毎回、もっと楽しくお菓子作りをさせてあげられればよかったのにって反省するんだけど、何回やってもその反省は次に活かされず、それでも娘は毎回「一緒にやりたい!」と目を輝かせる。
自分もこうだったのかな。あんまり覚えていないけど。
・・・
私が思いついたときにさくっと家でお菓子作りをするのは、自分がそうやって育てられてきたからだと思う。
母は今の私よりもよくお菓子を作っていた。
小さい頃の誕生日ケーキは母の手作りだったし、パン作りにハマっていた時もあった。
パン屋さんのショーウィンドウに飾られているような、食用ではないカッチカチのパンのリース飾りみたいなのも作っていたな。
ガスレンジの下には、こだわりのオーブンが設置されていた。
私は母ほど頻繁には作らないし、オーブンなんてないから電子レンジのオーブン機能を使って焼いている。
古い、10年以上前の電子レンジだけどすごく活躍している。
パン作りはステイホームが叫ばれていたころに何度かやって、うまくいかないからもう作らないことに決めた。
スタイルは違えど、「家でお菓子を作る」っていう経験をさせてもらっていたから、「家でお菓子を作る」っていう選択肢が私の中にあるんだと思う。
・・・
そう考えると、子どもにもっといろいろな経験をさせなくちゃって焦る気持ちになるんだけど。
私が家でお菓子を作るのは小さいころにやっていたから、っていうのは結果論であって、必ずそうなるわけでもないと思っている。
たとえば。
両親は北海道出身だったので冬はいつもスキーに連れていってくれていた。
ようやく歩けるようになった私を連れて雪山で撮った写真が残っているほどだ。
それなのに、大人になった私は雪山に行かない。
娘を連れていったこともない。
寒いのが嫌いだし、雪道の運転したくないし、お金をかけてスキーやスノボをする気にならない。
好きじゃないんだ。
幼いころに経験したからといって、大人になってからもやるようになるわけじゃない。
それとは反対に、小さいころに経験したことのないものが自分の人生の一部になることだってある。
娘の誕生日に部屋の飾りつけを盛大に行う、っていうのがわが家の年中行事なんだけど、これは親にやってもらったことはない。
育ってきた家庭とは違う、わが家オリジナルの文化だ。
娘が大きくなって子どもを持ったとき、同じように子どもの誕生日を祝うのだろうか、それとも全く違う方法で祝うのだろうか。
親が与えられる環境や経験なんてひとつのきっかけにすぎず、子どもは自分自身でいろいろなものを選びとって成長していくんだなと思うと、少し肩の荷がおりるように感じるな。
もしかしたら、両親も「子どもにいろんな経験をさせたい!させなきゃ!」って思ってやっていたわけじゃないのかも。
多少そういう思いはあったと思うけど、自分たちが好きなことをただやっていただけかもしれないね。
うん、そうかも。
それでいいんじゃないかな。
自分がやりたいことをやる。
子どもにやらせたいから、ではなくて。
たまたま子どもがいたから一緒にそれをやる、くらいの感覚で。
子育てしていると、つい子ども中心の生活になって、子どものためにって選択をしがちになる。
だけど、もっと自分のために過ごしたっていいんだよな。
シフォンケーキを焼く間、そんなことを感じた夏休みの午後でした。
さ、生クリーム泡立てて、シフォンケーキ食べよう。