映画ルックバックを観た
藤本タツキ原作のルックバックを観てきた。
とりとめもない今の感情を書いてみようと思う。
以下ネタバレを多分に含むため、漫画を読んでいない人・映画をまだ観ていない人は絶対に読まないでで欲しい。
読むつもり、観るつもりがないのであれば、私が感じたルックバックは知らないでいて欲しい。読むのであれば、ファンの方が書いたようなもっとちゃんとした解説を読んで欲しい。
正直に言うと、グロテスクすぎる話だと思う。
事件で傷をおった人の気持ちを推し量ることなど到底できない。その当時の惨状のことは想像もしたくもない。犯人はまだ生きていて、犯行の理由もめちゃくちゃであった事実からも目を背けたい。
私が想像力を働かせたところで何の意味も持たないからだ。
でも向き合ってならなくちゃいけない人は大勢いる。当時献花に行った友人は複数いたが、たくさんの、たくさんの花が添えられていたと聞いた。アニメーションを愛する全ての人にとって無視できない事件であることは間違いない。
作品として楽しみ昇華する罪悪感も含めて、ルックバックなのだと思う。
高い自尊心と自己承認欲求を併せ待つ藤野と、他人に強い恐怖心を待つ京本。共依存に似た二人の友情、努力、勝利の青春。漫画と映画の大きな違いは、この2人の青春の時間をしっかりと楽しませてくれるところだと思った。
物語は進み、京本の死んだ世界で藤野は自分を責める。しかし(これは私の想像を絶する状況のため空想に近い戯言と捉えて欲しいのだが)もしかしたらそれは一番簡単なことなのかもしれない。
こんなことをしなければ、あるいはしてあげられれば、京本にこんな未来があったかもしれない。そうやって藤野は生涯自分を呪い続けることもできた。
けど藤野は、死んだ人間にあったはずの未来を背負って生きていくことを選ぶ。京本が憧れた藤野先生として漫画を描き続ける。
藤野の強さだと思うし、それを裏打ちするのはやっぱり京本と過ごした時間だと思う。
生きている間に人は人に希望を与える。その人を奪われたら人は絶望する。
けど、これまで与えられた希望が消えるわけでは決してない。
怒りや悲しみに呑まれない、振り返らない、亡くなった人の誇りを背負って生きていく強さ。
藤本タツキ先生が「だから自分は漫画を書いているんだ!」と叫んでいるような作品だと思った。